2019年3-4月 観劇記

 

はじめに

 最近、観劇が趣味と言っていたら「どんな芝居を見てるの?」と数人に聞かれました。自分でもなんと言っていいのかわからず、「インディーズ演劇…みたいなの…?」という曖昧な答えを返すことしかできませんでした。

 そんなこともあり、備忘録も兼ねてこの一連の記事では、さらっとした感想をまとめていきます。自分でもまだ消化しきれていないので、一部の作品については別の記事として後日じっくり仕立てることもあるかもしれません。とは言ってもまだまだ書きたいことが渋滞している状態なので、いつになるかはわかりません。

 まずは3月末に東京に引っ越してから今日までに観た6ステージについてです。 

 

パルコプロデュース『母と惑星たち、および自転する女たちの記録』

 東京帰還後初観劇。

 母性が欠落した母親に育てられた三姉妹が、その母の遺骨を持ってイスタンブールを放浪するロードムービー的一作。

 児童虐待を受けた子供は、親になって子を授かった時に虐待してしまう確率が高い、という話を聞いたことがある。子供への「正しい」接し方を経験的に獲得していないかららしい。

 三姉妹はこの事実に似た恐怖感を抱いている。つまり、機能不全の家庭で育ったがために、あるべき「家庭」の姿を想像できない、もしくは家庭を「不幸な装置」と認識しているがゆえに、いずれその不幸を再生産してしまう*1のではないかと考えているのだ。彼女たちの恐れは母の遺伝子を継いでいる事にまで及んでいる。

 

 そんな中、母に「あんたは父親が違う」と告げられ、そのせいで酷い目にあったと思ってていた*2三女しおが交際相手との間に子を授かってしまったことが明かされる。物語のフォーカスは彼女が産むことを選択するか、という点に集まっていく。

 

 第一幕の幕切れ*3や、しおに対する母の最後のセリフ*4はやはり印象的。

 

 シビアな現実と向き合う登場人物に対し、なんのジャッジを下すこともなく、ただひたすらに寄り添う脚本が魅力的。時々挟まれる笑いや旅行という非日常的な舞台設定のおかげで、シリアスになり過ぎず不思議とポップな味わいが残る作品だった。

 

 普段はあまり個々の役者さんに興味は持てないのだが、このお芝居では芳根京子さんが圧倒的だった。役名*5通りにしおらしく、いたいけな演技を見せたかと思えば、母親との対決シーンではこれまでの鬱屈を全てぶつけるような感情の爆発と芯の強さを見せつけられた。

 あまりお芝居を観ている方ではないが、こんな気迫を感じられる事はは滅多になく、贅沢な体験をしたのではないかと思った。

 テーマ的には最近読んだ村田沙耶香『タダイマトビラ』と似たものを感じた。ただ、今作は命をつなぐためのシステムとして家庭/結婚を肯定的に捉える*6のに対し、『タダイマ〜』の方は「命をつなぐためには家庭は必要ない*7」という結論になっているのが対照的。

 

キャラメルボックススロウハイツの神様

 大好きな小説の舞台化ということもあって再演を楽しみにしていた一作。

 クリエイター群像劇とも、ピュアなラブストーリーとも、上質なミステリとしても楽しめる原作の魅力が2時間に凝縮されていた。御都合主義、理想主義との誹りは免れないが、人間やその感情を強く肯定する力を持つこの作品がより好きになった。

 あらすじだけでは陳腐な話と言えるのかもしれない。しかし、それが目の前で起こった、いってみればフィクションが存在するという現実を見せつけられた途端に、説得力が増すのが演劇の魅力の一つだと感じた。

 

 劇中、2度も特撮というバンドの大好きな曲『ロコ!思うままに*8』という曲が流れ驚いた。後から調べると原作者の辻村さんの提案らしい。

 

 余談にはなるが、終演後のトークショーで辻村さんがひたすら自分と自作の話に終始していたのが印象的。デビュー作『冷たい校舎の時は止まる』で儚げ系ヒロインを自分と同姓同名にしただけの胆力と自意識の強さは今も健在らしい。

 

新しい学校のリーダーズ ワンマンライブ

 東京での初ライブは初めての地下アイドル(?)のライブへ。きゃりーぱみゅぱみゅ三戸なつめの事務所*9に所属しており、バックには大手広告代理店が付いているという異色のグループ。

 サブカルチャーであることをアイデンティティにした*10集団というのは概してサムく、つまらなくなってしまいがちだ。辺境をアイデンティティとする事は、その中心にある「主流」に迎合する事と同義だと私は感じている。

 それでも、そんな聞き手にとっても違和感が少ない商品として、彼女たちを提供できているのは流石。資本力に頼った作詞/作曲者のチョイスがなせる技だろう。

 ただその一方で、彼女たちのファンになる事もないだろうと感じた。彼女たちは所詮、安全なショーケースでしかなく、私が舞台に求める野蛮さ、緊迫感はそこにはなかった。

 ライブはフルバンド形式(元東京事変H ZETT Mも参加していた)で、聴衆も普通のロックバンドのライブとあまり変わらない雰囲気だった。

 アイドルというのはもはや舞台と客席をつなぐコミュニケーションの様式に過ぎないのだなと感じた。東京事変的なロック音楽がすでに時代の最先端にはなく、ノスタルジーの対象として消費されていることにも若干の驚きが残った。

春匠『チョコレイトケーキ』

 一度(セミ)ノンバーバルのお芝居を観たかったのでラッキーだった。

 死刑執行直前の死刑囚と警官の日々を「演技しない演技」で描き上げている。

 執行官の逡巡、そしてそれを振り切るように罪状を読み上げるどこか言い訳じみた姿が印象的。最後の一音は予想できるとはいえ、記憶に残るのに十分なインパクトがあった。

 謎の女や監視カメラなどの演出は斬新で楽しめたが、全体的にテクニカルなお芝居で、初心者の自分には少し難しかった。

 

劇団四季『キャッツ』

 メジャーなミュージカルもということでチョイス。日本での公演回数が10000回を超える超ロングラン作品にも関わらずチケットは殆ど取れず、自分の回も客席は満員。

 

 詩集が原作なので、特段のストーリーはない。しかし、ダンス、大道具、小道具、衣装、役者の数に圧倒された。芝居というよりも、サーカスやテーマパークのショーに近いかもしれない。35年前の作品とのことだが、全く古さを感じさせないのも驚き。

 とにかくアンドリュー・ロイド・ウェバーの音楽が素晴らしい。プロローグの曲*11は明るいものの若干の緊迫感を帯び、観客を物語世界に招き入れる。その後も場面に寄り添い、説得力や感情を増幅させるのに絶大な効果をもたらしている。

 

 とっても享楽的な作品で、多くのファンがもう一度観にいきたくなる気持ちがわかった。

 

チルダアパルトマン『ばいびー、23区の恋人』

 これまでで最少キャパ(20人程度)、最狭(8畳程度)の会場での小芝居。

 典型的な「あばずれ女モノ」。不安と無責任さが根底にあるのも一般的だが、そこに東京のローカリティと都市の孤独感*12を混ぜ込むのは新鮮。ただ、追い込みが少し足りず23区にいる23人の恋人に別れを告げに行くという設定を活かしきれなかった*13感が残念。

 主演の松本さんの演技は脚本も相まって見事だった。清楚系サブカルクソ女*14が眼前にいた、気がする。

 はちゃめちゃな芝居だが、一種のシチュエーションコメディとしても十分楽しめた。次回作も楽しみ。

*1:彼女たちの母も、決して幸福な家庭環境、母-娘関係ではなかったことが劇中で明かされる

*2:真実かどうかは明かされない

*3:「あんたらが、どんな母親になるか興味がある」

*4:「産めっ」

*5:三女 しお

*6:偶然結婚式=家庭ができる瞬間を目撃し、その幸福感に触れる。そして母の遺骨を撒き、母から解放される。おそらくしおは子を産むだろう

*7:家族は人が「カゾクヨナニー」をするための装置だ

*8:

特撮(大槻ケンヂ) - ロコ!思うままに - YouTube、何があってもいいことしかないさという歌詞が印象的。

*9:アソビシステム

*10:=売り出された

*11:

Jellicle Songs For Jellicle Cats|Cats - YouTube

*12:「東京に多くの知り合いが欲しかった、でも少し深く知り合いになり過ぎちゃった」

*13:別に23区に1人ずついる必然性がなかった

*14:by ポプテピピック