追いコン用スピーチ原稿 (卒業によせて②)

 

はじめに

 今回はメモ程度に卒業時に話そうとしたことを残しておきます。当日は日和って言いたいことの半分も言えなかったのでリベンジの要素もあるかもしれません。

 

スピーチ原稿

 まず、こんな素晴らしい会を企画し、参加していただいた皆さん、ありがとうございます。

 2年生でひょんなことから途中入部して、5年間という長いような短いような時間を過ごした軽音部は私にとって、「音楽のテーマパーク」のような存在でした。
 現実のテーマパーク、例えばUSJやディズニーランドにも、アトラクションを楽しむ、ショウを楽しむ、デートの舞台にする、友人と一緒にいることを楽しむ、色々な楽しみ方があると思います。
 軽音部も同じです。ライブという環境を楽しむ、物理現象としての音楽を演奏すること、聞くことを楽しむ、誰かの言葉と向き合う、自分がかっこいい存在であるとアピールする、色恋沙汰の材料にする、うまくいかない学業から逃避する…、皆さん色々な楽しみ方をしているように見えました。
 それらを1つにまとめていたのが「音楽が好き」というテーマ、お題目なのだと思います。

 

 テーマパークを楽しむマナーとして、そのお題目を疑わず、積極的に信じるというものがあると思います。いくら巨大な、日本語を喋るハツカネズミも、そこにいるのは「ミッキーマウス」であり、それを不自然だ、着ぐるみだと指摘することは極めて正しいがゆえに、極めて間違っていることであるのだと思います。
 言い換えると、テーマパークとは物語、あるいは虚構が支配する空間であり、信仰、あるいは嘘が必要な空間でもありました。

 

 しかし私はミッキーマウスを観ると、直感的に着ぐるみの中にいる人を考えてしまうタイプの人間、テーマパークに馴染まない人間でした。捻くれようとしているわけでも、こうなりたくてなった訳でもありません。それが私にとっての自然であり、普通であり、現実なのです。

 そんな私は高校生の時まで、ベースとギターの違いすらわかっていないような人間、言うなれば音楽の洗礼を受けていない人間でした。
 しかし、きっかけは省略しますが、色々な縁があってこの部活に流れ着きました。

 入部当時はわからないことばかりでした。どうしてみんな同じように手を振り上げるのか、何故ギターソロがかっこいいとされ(動作)こんなことをされるのか、音楽が好きなのならなんでそれと向き合わずに走り回るのか、頭を振るのか、何故焼き直しのような歌詞を絶賛できるのか、何故音楽よりも音楽が好きな自分が好きなように見える人間が溢れているのか。

 当時はその違和感は自分の不勉強が原因で、いずれ自分も「音楽が好き」という状態になり、馴染めるようになるだろう、と思っていました。
 そんな自分は必死に「音楽が好き」になろうため、「音楽」を信仰しようとしていました。それがこのテーマパークで楽しくすごす為の、たった一つのやり方のように思えたのです。

 しかし、そんな試みも徐々に限界に近づき4年生が終わる頃にはすっかり疲れ切っていました。個人練も練習もライブもちっとも楽しくなくなってしまいました。
当時は何も分かっていなかったと今さらになって思います。

 

 自分にとって軽音楽とは、電化された(言うなればエレクトリカルな)朗読劇だったのだな、と今は思います。つまり、歌詞が脚本、音楽は演出の一部、脚本が先、演出が後であるということです。
 大事なのは、あくまで主観的な劇であって誰かに向けた演説ではないことです。みなさんも映画館に行って突然映画監督の”俺は完全感覚DREAMERなんだ”という自分語り*1や”これが本当の君たちの姿だ”というお説教が流れたら戸惑うはずです。それと似た事が私にとっては繰り返されていたのです。

 

 もちろん、作品を作る人間に動機やメッセージがあるのは当然だと思います。しかし、それは基本的に「朗読劇」の題材や展開、演出などで恭しく提示されるべきだと信じています。もちろん「あとがき」「カーテンコール」のように作者が自らの言葉で語りかけることはあるでしょうが、ある程度具体的な形と共に提示されてこそ有効なのではないでしょうか。

 

 よりシンプルに言えば、軽音楽のライブにおける、音という一方的な武器の強さに驕った演者の安易さや自省の足らなさ、そしてそれを良しとする観客-演者の距離の近さ、共犯とも言える関係がが最後まで許せなかったのだと思います。
 その積極的な共犯関係が生み出す環境は、もう一つの意味で極めて「”あるアーティスト”のテーマパーク的」と言えるかもしれません。

 

 もちろん、敗色濃厚な中でも色々な方法を試してみました。逆に意味を削りきった無害なバンド、オリジナルの脚本のバンド、より劇に近づけたバンド…、どれもうまくいきませんでした。何をしても私は音楽それ自体を好きになれず、音楽は私を拒み続けました。

 最後の実験*2が、あんな普通の音楽からかけ離れた形になったのは必然だったのかもしれないなと思っています。自分が観たら面白いだろうな、自分が好きだろうなという要素を詰め込んだ最後の抵抗のようなものです。皆さんがあれを音楽と認めてくれたなら嬉しいです。 

 

 さて、こんな自分でも、ここまで続けて、様々な景色を見て、様々な話を聞いて、様々な知見を得ることができたのは、部員の皆さん、特に同級生のおかげです。私を辞めさせなかったのは、大学では部活に入っていないと生存に不利になるという強迫観や、一度組んでしまったという義務感もあったかもしれません。
 しかし、皆さんと過ごす時間は間違いなく、とても楽しかったです。それだけで続けるのに十分な理由だったと確信しています。

 最後に、下級生の皆さんに一つだけお願いをしたいと思います。皆さんの中にどれくらいの割合でいるかは分かりませんが、世の中にはきっと音楽がどうしようもなく体から溢れてしまう人がいるのだと思います。そんな人達には、この環境が必要なはずです。どうか彼らのためにこの場所を保ち続けてください。
 その中で、皆さん自分自身が「軽音部」や音楽の何が、何故好きなのか見つけられたら、きっと幸せなことなんじゃないかと思います。
 
 もう私は楽器に触れることも、舞台に立つこともないでしょう。しかし、皆さんが守っているこの歪で魅力的なテーマパークを想像するだけで、その場にいられたことを思い出すだけで、こんな自分でも音楽が好きなのかもしれない、と少しだけ胸を張っていられる気がしています。
 長々とすみませんでした、ご静聴ありがとうございました。

*1:もちろん、それを聞いて自分も完全感覚DREAMERなんだと思えるほどおめでたい人間ではありませんでした。

*2:前の記事

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