2019年5月 観劇記

 

はじめに

 先月もあまり忙しくもない研修の合間を縫っていくつかの舞台を鑑賞することができました。放っておくと感想すら忘れてしまいそうなので、4月分と同様に書き留めておきます。

 

4/30 アーバンギャルド presents 平成死亡遊戯

 平成最後の日、高校時代の友人と表参道にライブを見に行った。

 3月にギターが介護離職した後初めてのライブということもあり、フロアにも若干の緊張感があったように思える。実際は今までと同様、サポートメンバーを加えた編成での演奏がメインであったが、数曲は正規メンバーのみでテクノ風に披露されていた。

 もちろん馴染みの問題もあるだろうが、前者の方が好みだった。

 彼らのライブは、CDでは身体性が薄い歌詞と音像の楽曲が、ドラム,ベースを加えた形で目の前で披露され、大勢と共有することが魅力だと感じていたので、後者ではCDの音源を流されているのと大差なく感じてしまった部分もあったと思う。

 

 余談にはなるが、彼らの長年のテーマが「少女元年*1」で直截的に表現された中、次にどのようなスタンスの楽曲が発表されるのか楽しみに感じてもいる。

 

 ライブ後は渋谷のスクランブル交差点に行こうとしたが、あまりの混雑に辟易し帰宅。テレビを観ながら元年越しを迎えた。

 

5/3 STRAYDOG 『それからの夏』

 いわゆる「昔の地下演劇」を初めて観劇した。何度も再演された、その筋の方々には有名な作品らしいが、期待に違わず素晴らしかった。

 

 話は抽象的だが明快で、ある男とその親友、そして4人の女(春子,夏子,秋子,冬子)の関係がバラバラの時間軸で描かれる。


 男は常に走っている。ある女は彼を深く慕い、ある女は死と孤独に満ちた狭い街から一緒に抜け出そうと誘い、ある女は理由も分からぬまま男に惹きつけられ、ある女は走る彼をどこか突き放しつつも優しく見守る。
 友人は男をアニキと慕いながら彼の影を追いかけ、追い抜こうとしている。

 

 だが男は決して絆されて立ち止まらず、女と交わっても、友と共にあっても、彼にとってそれは偶然同じ道を、同じスピードで走っている間柄に過ぎないということが描かれている。
 途中までは男のナルシシズムと自己中心性が目立つが、その分終盤で彼の心情が明かされた時、その真摯さが際立つように思えた。

 彼は自分と、自分の目の前にあるものから目をそらすことなく見据えて走っていたのだった。「死は死としてそこにあり、孤独は孤独としてそこにある」という開き直りのような宣言がいやに明るく響いた。

 

 余談にはなるが、傷痍軍人が割と唐突に登場するのにどこか時代を感じた。

 

5/19 渡辺実希 『身内に不幸がありまして』

 初めての一人芝居観劇。原作小説が手記風であったこともあり、かなり朗読劇に近い形だった。

 内容はさておき*2、渡辺さんの眼の表現力には驚かされた。怯えや怒り、喜びなど様々な感情がダイレクトに伝わってきた。

 

 演出面では、一人芝居にいかに外部性を導入するかという点でやはり苦労していた印象。洋服やメトロノーム、スカーフや本など様々な小道具が上手に活用されていたが、俳優の代用品としての印象も強く残ってしまった。

 

 客入れの時にかかっていた曲*3で、吉澤嘉代子を知ることができたのが最大の収穫かもしれない。

 

5/21 キャラメルボックス 『ナツヤスミ語辞典』

 毎回のことだが本当に素晴らしかった。ベタな表現だが、笑いと涙と共に物語世界に丁寧かつ深く誘われ、劇場から出た後に同じ風景が少し輝いて見える、そんな体験は滅多にできるものではない。

 

 平成元年初演とのことだが、全く古さを感じさせない演出と脚本の書き換えは見事。

 あらすじは、悪人といった悪人も登場せず、狭い人間関係内でのいわゆる「いい話」の範疇だが、とにかく見せ方が上手。劇団のテーマである「人が人を想う気持ち」の強さが最後に報われるのも同様だが、今作はそれに呼応する形で「人が自らを信じる気持ち」も高らかに宣言されるのも素敵。

 

 この公演が終わった先日、劇団の活動休止が発表された。ガレージセールやこの公演*4の存在を考えると、おそらく、随分前から決まっていたのだと思う。そんなものを微塵も感じさせず、最後までエンターテインメントに徹した彼らを強く尊敬する。

 

 思えば、中学生の時、最初に演劇に触れたのも、大好きな作家がこの劇団に書き下ろした『猫と針』という作品で、大学生の時、本格的に観劇を始めたのも『スロウハイツの神様』がきっかけだった。

 

 正直、キャラメルボックスのオリジナル作品が小説なり映画なりになっても、自分はそんなに気に入らなかったと思う。話がベタすぎて説得力に欠けてしまうのだ。

 しかし、一度それが演じられると、彼らのまっすぐな言葉はスッと心身に馴染み、何の違和感もなく受け入れられてしまうのだ。それは「自分はこんなピュアで素朴な物語を愛せるのか」と自分で驚くほどであった。そして、彼らが王道とされ、多くの支持を集めている事に納得しつつ、どこかでホッとしていた気もする。

 

 そんな風に演劇というメディアの可能性と面白さを知るきっかけになった彼らは、自分にとっては本当に大切な存在だったし、これからもあり続けると思う。

 

5/26 悪い芝居『野生の恋』

 こちらも15年と長い歴史があるカンパニー。

 苛烈なまでの一目惚れの片思いをしているという2人のラブストーリーを主軸として描かれている。

 もう一つの軸であるタイムトラベル要素の存在意義を掴みきれず、ぼんやりとした印象になってしまった。仮に「こういうことは不確定だから面白い」程度であるのなら少し残念に思う。

 終盤にかけても、パートナーを得ることで激しい感情が制御できるのか、それはいったいどのような形なのか描ききれていない印象を受け、消化不良感が残ってしまった。

 

5/26 悪い芝居『暴動の後、さみしいポップニューワールド』

 新作2本立ての2本目。『野生の恋』とは対照的にいい意味で騒がしく、カラフルな舞台。『野生の恋』での歌唱が印象的だった、煙子の生い立ちが描かれる。

 

 「他人の目を気にせず自分が思うままに表現するしかないよね〜」的な結論は極めてありふれているが、その境地を「さみしい*5ポップニューワールド*6」、そしてそこに至るまでの苦しさと葛藤を「暴動」と表現するのは上手。

 

 その結論に達した煙子が最初にどんな曲を歌うのかが焦点だと思っていたが、タイトルコール*7のみで終劇し、肩透かしを食らった気分になった。

 

 笑いの取り方は、同じことを何度も繰り返したり、奇抜な格好で登場するなど比較的非言語的で暴力的な形なのも印象に残った。関西の劇団が全てこう、というわけではないだろうが、どこか吉本新喜劇の影も見え隠れした。

 

 2作とも魅力的な特定の表現にドライブされる一方で、独りよがりで起伏に乏しい展開になってしまう傾向がある脚本という印象を受けた。どちらかというと演劇よりも作詞や音楽向きな想像力な気もする。

*1:もしくはレコ発のタイトル「あなた元年」

*2:儚い羊たちの祝宴』では『玉野五十鈴の誉れ』がお気に入りです

*3:シーラカンス通り』

*4:再演したい作品について劇団員にアンケートをとった結果らしい

*5:他人が存在しない

*6:作品中で「幸せの裏返しとしての苦しみすらない世界」を指すと説明される

*7:曲タイトルと劇タイトルが同じであった