虚言癖と夢野久作『何んでも無い』について

 

はじめに

 先日、研修医同期との雑談で、どうして虚言癖というものが存在するのか、という話題になりました。
 それは、彼の大学の後輩が虚言癖持ちで、周囲を戸惑わせた上に、さらに本人が抑鬱状態になった*1というエピソードから発展したものでした。

 すぐにぼんやりとした、一般的な答えは浮かんできたものの、気恥ずかしさや実力不足から「なんでだろうね」とお茶を濁してしまったのを覚えています。
 ちょうどその時、『光の祭典』に関して考えていたこともあって、劇団のステートメント「傷つけられ蔑まれ、簡単には納得できない複雑な想いが少女の体と邂逅したとき、少女は無意識に自分自身に嘘をつく。」という一文も思い出されました。
 また自分も、大学時代に同様の虚言(かもしれないこと)に振り回された経験*2もあり、案外世の中にはこういうタイプの人が多いのかもしれないとも感じました。

 そう言った事情もあり、ここでは、虚言癖(=無意識の嘘)がなぜ生じるのか考えることで、『光の祭典』についての補論としたいと思います。

姫草ユリ子について

 このテーマで、真っ先に思い浮かんだのが夢野久作『少女地獄』の中に収載されている『何んでも無い』という短編とその主人公、姫草ユリ子でした。

 この作品は「漫画で読破シリーズ」にもなっているような有名作で、青空文庫にも収載されているので興味がある方はぜひお読みいただければと思います。

 ユリ子は天才的な嘘つきとそれなりの美貌によって貧しい身分からそれなりに看護師*3として成功を収めていましたが、その虚言癖によって信濃町のK大学病院を追い出されます。
 そして、ユリ子は横浜の開業医、臼杵のもとに流れ着き、そこでもその魅力で看護師として成功すると共に、臼杵に取り入ります。
 しかし、徐々に嘘はエスカレートしていき、ユリ子の発言を疑った臼杵にその嘘が事実に反していることを確かめられてしまいます。


 そしてそれを知ったたユリ子は、自らの嘘を検証不可能なものにするために自殺し、さらに臼杵やその先輩の白鷹からの性的な裏切り(これももちろん嘘です)を自殺原因と示唆する遺書を残していくことで、より事の真偽を有耶無耶にしようとします*4
 そんなユリ子を臼杵は「ですから彼女は実に、何でもない事に苦しんで、何でもない事に死んで行ったのです。 彼女を生かしたのは空想です。彼女を殺したのも空想です。 ただそれだけです。」と評します。


虚言と虚栄について

 では、なぜ、ユリ子はここまでの虚言癖を持つようになったのでしょうか。
 現代風にユリ子をサイコパス(精神病気質)と簡潔に表現することはできますが、それだけでは理解をすることも現実の解像度を上げることにも寄与しないのでここでは避けます。


 もちろん作中にも、なぜユリ子が虚言に走るか、という点は2つの形で言及されています。
 一つは精神病発作が女性の骨盤内うっ血に由来するといった、19世紀まで信じられてきた古い精神医学的な考えです。

「やっとわかりました。御厄介をかけましたあの姫草ユリ子と言う女は、卵巣性か、月経性かどちらかわかりませんが、とにかく生理的の憂鬱症から来る一種の発作的精神異常者なのです。あの女が一身上の不安を感じたり、とんでもない虚栄心を起して、事実無根の事を喋舌りまわったりするのが、いつも月経前の二、三日の間に限られている理由もやっとわかりました。」というセリフが象徴的です。
 ただ、これは夢野のオカルティズムや精神病者に対する偏見から生じたものであり、現代において「女性は生理があるから嘘つき」なんてことを言ったら袋叩きに会うことは必定でしょう。


 しかし、臼杵とその推理小説好きの妻*5の対話の中で示されるもう一つの理由は理にかなっていると感じました。
 妻は、ユリ子の嘘を

「……あたし……それは、みんなあの娘の虚栄だと思うわ。そんな人の気持、あたし理解ると思うわ」

「え。それがね。あの人は地道に行きたい行きたい。みんなに信用されていたいいたいと、思い詰めているのがあの娘の虚栄なんですからね。そのために虚構を吐くんですよ」
 と解釈します。次はこのセリフ、特に虚栄とは何かについて考えていきます。

 これまでの記事で、他人の視線や評価に依存してしまう性質を「少女性」と定義していました*6
 また、他人に見られることですら、自らの自己認識を揺るがす危険な「他者性」に直面するにきっかけなりうることを主張しました。そして、その「他者性」への恐怖感を左右するのは自己愛と欲望/意志の強さであることも主張しました*7
 この両者が合わさった時、嘘が生じるのだと思います。
 つまり、「自分がこうありたい/こう見られたい」という願望が強すぎる/叶えられないため、現実を自分の努力で変容させる前に、「少女性」によって「こう見られたい」方を優先させ、言動で他人が持つ自分への認識をコントロールしようとしているのが嘘なのだと思います。
 その自らが望む姿が明確であればあるほど、それを信じられているほど、嘘はより反射的に、肉体的になっていくのかな、と感じました。

 ただ、「理想の自分」はあくまで自分自身が作り上げた理想であって、それを作り上げた自分の価値基準を実直に反映していることに留意する必要があります。つまり、価値基準が違う相手*8にはその嘘はタイトルの通り何んでも無い、無意味なものになってしまうのです。


 具体例としては、ユリ子の嘘には権威主義的だったり、拝金主義的な嘘が多いのが印象的です。それは、ユリ子の人生の中で、ろくな教育を受けていないことや金銭に困っていたことの反動なのかもしれせん。「嘘はコンプレックスの裏返し」とはよく言ったものだと思います。

地獄への入り口

 最後に、ユリ子を自殺にまで追い込んだ要因について少し考えたいと思います。
 対処療法的な面としては、いわゆる検証(今風に言うならファクトチェック)可能な嘘に頼ってしまったことが原因として挙げられます。最後に遺書に記した「白鷹と臼杵は私に好意を持っていた」という嘘は検証不可能であり、こう言った嘘を重ねていれば嘘は完璧に否定されず、ユリ子も生き延びることができたのかもしれません。


 また、これは「嘘に嘘を重ねることになる」という一般論になりますが、嘘をつく相手も社会的な存在であり、その言動をコントロールできない以上、一度嘘をつくと、その虚構を諦めない限りその他の人間にも同様の嘘を重ねることになります。そして本文中にある「虚構の天国」を作り上げることになってしまうのだと思います。そして本人が「天国」だと思って作り上げた環境はその実、綿密なコントロールが常に必要な針のむしろのような「地獄」と形容できるものなのでしょう。
 そして、そんな地獄に自らを叩き込まないように助けるのが、これまでの記事で触れた作品に込められたエッセンスなのかもしれないな、と思うのです。

 

最後に 

 これまで、アーバンギャルド『少女都市計画』、少女都市『光の祭典』、それぞれの感想を述べてきました。そして、補論として虚言癖について考えることで、これらの作品から得たエッセンスを現実の現象に適応させるという試みを行いました。
 一連の記事は徹頭徹尾自分が書きたいから書いたものですので、誰の役に立たずとも本望です。ただ、これを読んでくれた人にとって新たな視点を提供する「他者性」の役割を果たせていれば嬉しいです。

*1:おそらく適応障害

*2:男女1回ずつ

*3:原文では看護婦

*4:妾が息を引き取りましたならば、眼を閉じて、口を塞ぎましたならば、今まで妾が見たり聞いたり致しました事実は皆、あとかたもないウソとなりまして、お二人の先生方は安心して貞淑な、お美しい奥様方と平和な御家庭を守ってお出でになれるだろうと思いますから。罪深い罪深いユリ子。 姫草ユリ子はこの世に望みをなくしました。
 お二人の先生方のようなお立派な地位や名望のある方々にまでも妾の誠実が信じて頂けないこの世に何の望みが御座いましょう。社会的に地位と名誉のある方の御言葉は、たといウソでもホントになり、何も知らない純な少女の言葉は、たとい事実でもウソとなって行く世の中に、何の生甲斐がありましょう。

*5:作中では常に”真実”を示唆するポジションにあります

*6:アーバンギャルド 『少女都市計画』について - Trialogue

*7:少女都市『光の祭典』について(後編) - Trialogue

*8:完全に価値基準が同じ他人は存在しません