2020年 2月 観劇記

はじめに

 早いものでもう春の足音が聞こえてきました。日々をコロナウイルスの影響は医療現場*1よりも日常生活に色濃く出ている印象です。

 綺麗事かもしれませんが、こういう時だからこそ、舞台芸術や音楽、文学が人々の恐怖心を宥め、穏やかに諭す役割を果たせるのではないか、とも思っています。

 

2/8 可児文化創造センター&リーズプレイハウス『野兎たち』@新国立劇場

 国際色強い演劇を観ようということで観劇。

 こちらは岐阜県可児市とイギリス・リーズ市の共同制作。国際結婚を題材としているだけあって俳優陣も日英双方から出演という豪華な舞台。

 

 舞台は英国で出会った日本人・早紀子(可児出身)とその婚約者でイギリス人のダン(リーズ出身)とその母・リンダが可児市の両親を訪れるシーンから始まる。

 当初は「異文化間での対話」といったありふれたテーマが描かれるが、話題が早紀子の兄・弘樹に移ると舞台は不穏な雰囲気を帯びる。

 

 弘樹はこれまで親に敷かれたレールの上を上手に走り、弁護士としてある程度の成功を収めていた。しかし、その一方で弘樹の精神は消耗しており、些細なきっかけにより実家での退却的な生活を経て失踪してしまう。

 また、そんな弘樹を家族の恥として隠す両親によって醸し出された不穏な雰囲気の中で、早紀子とダンが結婚したきっかけが早紀子の失職に伴う滞在資格の問題である事、ダンとリンダの関係が破綻しかけていた事、リンダは旦那の喪失に苦しみ続けていることなど様々な問題が明かされる。

 その後は問題それ自体は解決しないものの、様々な人間が対話/対決を繰り返すことで何が問題なのか、何が大切なのかということが明瞭になってくる過程が描かれる。そして登場人物全員が現実/自らの感情を正しく認識した時に、自然と解決が訪れるのだが、これは個人の存在/思想よりも同一性や体面が重視され、社会が押し付ける虚構/嘘に苦しむ日本人に対するイギリスからのアドバイスなのかもしれないな、と感じた。もしかしたら日本人はとあるお題目に従順すぎるのかもしれないとも思った。

 失踪というのは日本特有の現象らしく、これを見たイギリス人は日本人について、そしてイギリス人についてどういった考えを巡らせるのか聞いてみたいと感じた。

 

2/9 青年団国際交流プロジェクト『東京ノート インターナショナルバージョン』@吉祥寺シアター

 昨年観劇した『その森の奥』において興味深かった、多言語同時多発演劇の最終形ということで観劇。

 近未来、ヨーロッパでの内戦により、多数の絵画が疎開して来た日本の美術館が舞台となっている。

 その待合室に出入りする人々の取り止めもない会話から、同文化内/異文化間での対話が浮かび上がってくる、という構図は前作と類似している。その一方で扱っているテーマは大きく異なるのが興味深いと感じた。今回は舞台設定もあり、「絵/世界をどのように/誰と見るのか」がテーマとなっている。

 フェルメールが描いた人が全て窓の方を向いている理由が複数人によって多様に解釈されたり、「画家が見ているものを見ているのか、画家を見ているのか、画家の世界を見ているのか」という複数の鑑賞姿勢が明言されているように、人は同じ対象を見ても違う捉え方をする、というのがこのテーマの根底に流れている。そして違うが故に、一人一人が見た/感じた内容には無条件の価値がある、ということを示唆する結末が導かれる。

 全体を通して、そんな違いをならすのでなはく、違いを違いのままにしつつ、共存するために必要な姿勢が後日に観た日本語版に比べても鮮明に描かれてたと感じた。

 こういった当たり前で、それが故に普段は照れ臭くて公言できない事を堂々と提示してくれるのが演劇の機能なのかな、とも感じた。

 

2/15 ロロ『二つのさみしい窓』@こまばアゴラ劇場

 知り合いが今月の一押しに選んでいたため観劇。

 劇団の10周年公演ということもあり、劇団の過去や存在理由を総括し、主張するような内容。タイトルも劇団名を示唆するものになっているのはそのためか。

 内容は、旅劇団*2の歴史を軸に、東北の風景や震災とは違う*3別れなどがやや抽象的かつファンタジックに描かれるというもの。

 情念が強すぎるためか、やや地に足がついていない印象だったが、「境界を溶かして透明にする*4」/その先にある出会いというコンセプトと、それをうまく体現した舞台美術は素晴らしかった。また、抽象的な展開の中で唐突に挟まれる具体的な笑いが、場を和ませるだけでなく観客の舞台への集中を高める方向に作用されるのは見事だと感じた。そのようにコミカル/シリアスを両立させる役者各々の演技のうまさも印象的だったが、劇団として舞台という場を作るのがとても上手だと感じた。

 過去作品を観ていればもっと面白く感じたと思うだけに、今後も新作を追っていきたい劇団になった。

 

2/16 烏丸ストロークロック『まほろばの景 2020』@東京芸術劇場

 日本各地でのワークショップを重ねて数年かけて一つの作品を作るというスタイルに興味を惹かれて観劇。

 テーマは東日本大震災山岳信仰、もしくは「どうしようもない過去+ひたすらな祈り」。当日パンフレットにもあったように、覚えているだけで辛い過去を否応にも悔恨/回顧し、現在を縛ってしまう人間の性が描かれる。

 主人公は大震災による実家/故郷の喪失、過去の女、自分が手を離してしまって以来行方不明の義理の息子*5など、様々な過去に囚われて、苦しんでいる。義理の息子が行方不明になったのは数ヶ月以上も前だが、男は探すために山を歩き続ける。

 その山行が徐々に修行、山岳信仰的なものになっていくというあらすじはもちろん、ひたすらな祈りとしての「懺悔、懺悔、六根清浄」の掛け声、顔の見えない神楽と飛び散る水しぶき、祭壇に縋り付くように山を登る姿など、様々な感覚に強く焼き付く舞台だった。

 脚本としては「どうしようもなさ」を言語的に解決しない、という点で似た作品として第27班『潜狂』が思い出されたが、こちらの方が圧倒的に好みだった。

 その差は、向き合う方法(音楽/祈り)によるかもしれないし、その過去の切実さ・当事者性*6によるものかもしれないし、脚本・演出の巧さで説得されただけかもしれないと感じた。

 

2/28 KAKUTA presents Monkey Biz #1『往転』@本多劇場

 桑原裕子の代表作の1つを本人の劇団で上演するとのことで観劇。

 東京発福島・仙台行きのバス*7横転事故にまつわる4つの物語が代わる代わる上演されるという凝った設定の舞台。

 作者の作風は今作でも健在で、なんらかの負い目(パンフレットで作者が「つまずき」と表現しているのが印象的だった)を抱えている登場人物達が、お互いの手を借りて、孤独だったり空虚さを埋めようと足掻く姿が描かれる。

 舞台自体は確かに良くできていたし、「つまずき」ながらも転ばぬように歩き続けないといけないという内容も印象的だったが、少し作者の手法に飽きてきたことは事実。別のテイストの作品が上演される機会があれば是非観たいと感じた。

 

2/29 青年団東京ノート』@吉祥寺シアター

 コロナウイルスの影響で、チケットが余ってしまった*8ため観劇。

 脚本という面ではインターナショナルバージョンとの違いが思ったより小さかったが、演じるのが日本語話者の日本人になるだけでほとんど別の舞台のように感じられたのは興味深かった。

 一緒に観劇した人の舞台美術に関する解像度の高さに、自分は全く気に留めていなかっただけにより一層驚かされた。やはり見ている物は人によって違い、それ故に一緒に何かを見る/観ることは一層意味があることなんだろうなと実感した。

*1:嵐の前の静けさと言えるほどに来院数が減っています

*2:もちろん自分たちが投影されているのだろう

*3:ここも安易に震災にたよならいのが好印象だ

*4:「愛情も友情も性愛も全部まとめて「親密度1000%」、それが溜息座流さ」といったセリフや、溜息座最後の演目、『綱渡り師の慧眼』が生と死を乗り越えるものであったりなど、このモチーフが繰り返される

*5:自閉症のためコミュニケーション不能であった

*6:少なくとも関東圏の人は東日本大震災の当事者性を持っていると感じる

*7:実在しており、自分も過去に幾度となく使用した

*8:先にこちらを購入していたが、別の用事があって2/9のチケットを予約→コロナによってその用事が消えた