2020年 9月 観劇記

 はじめに

 9月もリハビリ科でした。「元活動家」の部長先生*1からの怪しい展覧会や芝居の誘いをいなしつつ、今月もいくつかの作品を観ることができました。

 

9/1 NAPPOS PRODUCE『かがみの孤城』@サンシャイン劇場

 

 辻村深月の作品が、活動休止中のキャラメルボックス成井豊脚本・演出で舞台化されるとのことで観劇。この組み合わせの『スロウハイツの神様』が素晴らしかったのが印象に残っていました。

 


 NAPPOS PRODUCEの企画を端的に表すと「客寄せパンダ+キャラメルボックス」となるでしょうか。固定ファンを持つアイドル的な俳優・女優を主役級に据えて集客を確保しつつ、チケット代を上げて収益を確保するというビジネスモデルのように感じました。

 今回は主役が元乃木坂46生駒里奈、準主役がいわゆる2.5次元出身の溝口琢矢という座組みでした。

 この様な企画にどことなく抵抗感を持って観劇に臨みましたが、それを差し引いても今一つの出来の様に思いました。まずは、やはり舞台初主演の生駒さんの演技が悪目立ちしてしたのが印象に残りました。引っ込み思案な役を演じるため、声の出なさや感情表現の乏しさにはある程度正当性が出ることが救いになっているかもしれませんが、やはり舞台上で異物感を放っていたのは否定できません*2

  肝心の脚本も原作のギミックを盛り込もうとして説明過多(「XはYと感じた!」というナレーションが目立ちました)となり、物語への没入を妨げているように感じました。

 頑張って実現したギミックも、舞台上で表現されるとやや拍子抜けしまった印象がありました。

 そもそも、叙述トリックは物語を文字情報に落とし込む過程で削ぎ落とされた部分を読者が想像で復元する際に生じる誤差を利用したもので、そういったものを舞台でやることには無理があるのかもしれないなと感じました。

 

9/3 ロチュス『モノクロチュス』@中野RAFT

 

 これまで全く触れたがないカンパニーを観劇しようと思い観劇。早稲田大の演劇倶楽部出身の劇団スポーツの一員、竹内蓮さんの一人芝居でした。


 舞台は竹内さんが「夏の思い出」を語る、といった体で始まり、甘酸っぱい中学時代の恋物語が提示されます。そして物語は見事にハッピーエンドを迎えます。しかしその直後、それは実話ではないことが「楽しい思い出に逃げているだけ」との責句とともに判明します。

  その後も高校時代のバスケットボール部の「思い出*3」や、祖父との「思い出」とそれとはやや違った現実が交互に提示されます。その過程を通して、舞台上では真実・虚構が等価である事が共有されていきます。そして、その後は「思い出」を語るに至った思いを吐露する大演説でクライマックスを迎えます。

 この話題に関しては、個人的には「舞台上にあるものは全て真実」という捉え方をしていたので、「板の上でやってる時点で全部ウソ」という回収のされ方は新鮮でした。もしかしたらこの違いは観客と演者の立場の差によるもの、もしくは脚本・演出重視か俳優重視かという姿勢の差によるもかもしれないなと感じました。そして、この差は、本作の様に演劇への思いを語る演劇をどう評価するか、という点に繋がっている様な気がしました。

 脚本を含めて荒削りな印象はありましたが、終始エネルギッシュな表現が印象的で、気持ちいい舞台でした。

 自分と同世代の方の作品をもっと観てみたいと感じた作品でした。

 

 余談にはなりますが、竹内さんは公演中に足首受傷、公演後に救急搬送されました。その際に発熱が確認され、PCR検査の対象となり公演は中止となってしまいました。

 熱演と怪我による一時的な発熱だとは思っていましたし、結果も陰性とのことでしたが、終演後までドキドキさせられる舞台でした。

 

9/4 KAKUTA『ひとよ』@本多劇場

 

 昨年の映画版『ひとよ』が印象に残っていたため観劇。桑原裕子作品は『らぶゆ』、『荒れ野』、『往転』に続き4作品目でしたが、こちらも素晴らしい作品でした。

 子供達のためにDV夫を殺した母が15年後に帰ってくるという大まかなあらすじは変わらないものの、映画版よりもはるかに明るいテイストに驚かされました(本来の順序は逆ですが)。

 大きな違いとしては、母が隠遁生活中にニセコで出会った外人風酪農家・吉永の存在が挙げられます。彼は地元のタクシー会社という舞台にも、母親というどうしようもない他者といかに向き合うかというテーマにも全くそぐわない人物です。吉永の一挙手一投足により物語の風通しが良くなったと感じるか、焦点がブレてしまったと感じるかは人それぞれかもしれません。

 個人的には、そのほかの登場人物にとっては「母でしかない」女性を、別の視点でみる吉永の視点が導入されることにより広がりが出たと感じました。

 それもあって、映画版では「母として為したこと=(過去の罪)」に対する向き合い方が主題であったのに対し、舞台版では「母という存在」への態度にフォーカスがあたっていることでした*4

 前者には善悪、正誤といった価値判断の余地があり、その違いが物語の推進力となっていましたが、後者では推進力を登場人物の会話の可笑しみやリズム感に任せた分、より難しく、根源的なテーマに取り組めている印象がありとても楽しむことができました。

 

9/6 山口ちはるプロデュース『FANTSY WORLD?』@小劇場 楽園

 プロデューサが前面に立つプロデュース公演を観たことがなかったため観劇しました。「国の管理の元、自殺者・自殺未遂者は臓器移植希望者に強制的に臓器を提供しなければならない右の世界」と「そして、3日おきに記憶をリセットされる左の世界」が描かれるという触れ込みから、政治性を帯びているのかなと思っていましたが、そういった要素は感じることはありませんでした。さらに人物造形(謎のエージェント・難病の少女など)やあらすじ(「右の世界」にある新興宗教の施設が「左の世界」だった)、セリフは中二病のテンプレといったもので、正直に言えばこの芝居が上演される動機や意義がほとんど掴めず終わってしまいました。

 ただ、正方形の舞台の2辺が客席となっているという劇場の特性を活かした演出は新鮮で楽しむことができました。

 

9/8 劇団献身『知らん・アンド・ガン!』@三鷹市芸術文化センター 星のホール

 今年のMITAKA “NEXT” Selection 第2弾。『BLACK OUT』に続きこちらも印象的な作品でした。

 舞台は売れないクリエイターが住まうシェアハウスと隣にあるマスク工場です。クリエイターたちは売れない中でも社会から*5の援助を受け、安穏と生活していました。そんな彼らをコロナ禍が襲う…といったあらすじですが、主題はコロナやその被害にあるわけではないと感じました。

 コロナ禍はクリエイターたちにとっての淘汰圧に過ぎません。そして、淘汰されかけるクリエイターが自らの才能の無さを自覚した時、いかに向きあっていくか、という点が主題となっていきます。

 弱者、脇役、持たざる者への容赦なさや、「主人公だ(才能がある)と勘違いしている脇役(無能)」を物語の中心に据える手法は佐藤友哉の小説(特にデビュー作『フリッカー式』から続く鏡家サーガ)を彷彿とされました。「脇役」だと暴かれた後のもがき*6の惨めさも同じような印象を受けました。

 ただ、最終的にはワクチンというデウスエクスマキナの出現*7・弱者が力を合わせて解体業者に立ち向かったという努力より、シェアハウスは存続し、「才能がなくてもそれでも取り組み続ける方がいい」といった「ヌルい」結末を迎えます。これは脚本としては無理筋ですし、ありきたりな結末ですが、それでも理想を語る方を選んだ、作者の切なる思いを感じとることができました(ただし、作者がこの主人公に作者自身を投影していたとしたら、「現実はこうはいかない」という認識を強く持ち続ける必要があるかもしれないとアフターコントをみて感じました。)

 Corichではかなりの不評のようですが、個人的には悪くない印象でした。

 

9/10 ロロ 『心置きなく屋上で』@神奈川県芸術劇場 大スタジオ

 公演期間中に横浜に立ち寄る用事が出来たため観劇。「いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高等学校」略して「いつ高」シリーズの8作目とのこと。初見であったがゆえ、セールスポイントである「学内で起こる小さな事件の”ここ”と”あそこ”がまなざしで繋がれてゆき、シリーズ全体で大きな物語となっていく様」を楽しむことができなかったのは残念でした。

 高校演劇*8のフォーマットで演じられているとのことで、舞台美術の設置から観ることができたのはは新鮮でした。

*1:ただ、その弱者への優しい眼差しは尊敬に値すると思っています

*2:ただし、その異物感が「クラスで浮いている」という設定と噛み合っていた印象はありました

*3:ほぼ別の作品のトレースですが

*4:映画では過去の罪により破滅していく過程が強烈な存在感を放った元薬物ブローカーが舞台版では息子から父としての存在を否定されるのみでフェードアウトしていくことも一例です

*5:作中ではシェアハウスのOB・OG

*6:マスク工場拡張のため、シェアハウスが取り壊される危機の中、クラウドファンディングのリターンと称して一発ギャグを連発させられます

*7:マスク工場の拡張が断念されます

*8:今までそういった大会があることは知りませんでした、調べたら母校も地区予選は通過していたようです