2020年 10月 観劇記

はじめに

 10月からはまた内科に場所を移し、研修最終盤をこなしていました。ほとんど定時で上がることができることもあって、これまでで一番多い8本の芝居を観る事ができました。

 徐々に「コロナ禍で演劇できなくて辛かった」系の作品も減ってきて、バラエティに富んだ1ヶ月でした。

 

10/4 櫻内企画『マッチ売りの少女』@アトリエ春風舎

 アゴラ劇場の支援会員プログラムに入っていたため観劇しました。

 『かつてマッチを売っていた、という少女の「記憶/体験」を軸に、現実と幻想、忘却と回想、招きいれるものと招かれるものの関係を再考していくための、室内劇。』というコンセプトで、別役実による戦後不条理劇の傑作と呼ばれている作品を再演するという企画でした。

 まず、傑作と呼ばれるだけあって脚本がとにかく素晴らしいと感じました。あらすじはこのページ( http://8youth.cocolog-nifty.com/hachigeki/2020/08/post-651a55.html )がよく纏まっていたため引用させていただきます。より簡潔に述べると、”戦後”を清算し小市民的に生きる初老夫婦の元に、”戦後”の化身たる*1女が現れ、過去を突きつけ、そして自壊していくというストーリーでしょうか。

 この戯曲が約50年前、東京オリンピックをへて高度経済成長を続け、戦後の痕跡が消えつつあった東京で発表された時は現在よりも強烈な印象を放ったことだと思います。また、全編を通してやや文語的とも言える丁寧語で描かれていることも戯曲の内容と相まって不気味な穏やかさを演出していると感じました。

 そして、演出・演技からも脚本に負けない強さを感じ取ることができました。フィジカルディスタンス確保のため、女と夫婦が近づかなかったり、「弟」役が音声でのみ出演だったりいう演出が、過去という物理的には現代を脅かすことのできないものを表現する上でピッタリはまっていたように感じました。

 特に印象に残ったのは、「弟」が出されたクッキーを2枚食べたというだけの理由で女が激昂し、彼をなじり続けた後に自責へと雪崩れ込んでいくシーンでした。音声では「現在」の状況を提示しつつ、舞台上では過去に囚われる女が独白を続けるという逆転した演出は、この芝居のベースである過去と現在の対立を端的に表しているようでゾクゾクしながら観ることができました。

 

10/5 五反田団『いきしたい』@こまばアゴラ劇場

 こちらも会員プログラムに入っていたため観劇しました。期せずしてこちらもサイコ/不条理系の作品でしたが、こちらの方がよりユーモラスな作品かもしれません。「この度のコロナを語る演劇は今後、飽きるほど目にすると思うので、コロナに全く関係のない個人的な出来事について書くつもりです。」とのステートメント通りの作品でした。

 舞台はあるマンションの一室、若いカップルが引越そうとする場面から始まります。同棲していた彼らは別れることになり、各々の荷物を整理しています。しかし、そんな中、女は自分の荷物として男の死体を引きずり出してきます。そして、どうやら女の前の旦那であった死体はあろうことかまるで生きているように喋り、動き、考えているように見える、といった様に物語は派手に展開していきます。

 男と女は「生き死体」を「遺棄」しに旅に出ます。その道中、女は男ではなく「死体」と仲睦まじくし、男と「死体」、女と男の間に険悪な空気が生まれてしまいます。そして、女は「死体」の手を取ることを選び、男から離れていきます。しかし、「死体」は女を黄泉比良坂のような場所へ連れ込み、女を死へ導こうとします。そこで男が帰ってきて一件落着といった雰囲気になった束の間、男と女がすでに別れていて、男も死体ももう「そこにはいない存在」であることが明かされます。そして彼らは海の中へと消えていき、女が1人取り残されて舞台は幕を閉じます。

 女が過去の旦那との思い出を捨てきれなかったことが原因で、新しいパートナーとの関係が破綻し、傷心のままに旅に出たというのが「現実」に起こっていた事なのだと思います。その旅の中で女は絶望のままに自殺を考えるものの、思い出*2が彼女を引き留め、そして未練を捨てるといった結末なのでしょう。

 こういったシビアな話を、やや突飛でコミカルな表象で提示するのは新鮮でとても面白く感じました。前者はまさに、女が孤独の苦しみの中でも生きたい、「息したい」と願う話であり、後者は思い出という「生き死体」を「遺棄したい」と願う話なのかもしれないなと思いました。

 1時間とは思えないほど濃密な体験ができました。また別の作品も観に行きたいと思いました。

 

10/10 青年団プロデュース公演『馬留徳三郎の一日』@座・高円寺

 こちらも会員プログラムの作品。認知症の高齢者をテーマにした珍しい作品でした。

 かなりしっかりとした取材がなされているようで、違和感なく観ることができました。結末もいわゆる「支持的な傾聴」へ繋がるようなもので妥当に纏めてきたなという印象でした。

 

10/21  CHAiroiPLIN『三文オペラ』@三鷹市芸術文化センター星のホール

 劇場のプログラムを信頼しているため観劇しました。

 ブレヒトの音楽劇をダンス、歌唱、演技などを組み合わせて上演するという試みで、興味深く観劇することができました。

 脚本にはほとんど脚色はなく、大悪党メッキースと奴隷商人ピーチャムの娘ポーリーとのラブストーリー、娼婦の裏切りによるメッキースの逮捕、処刑寸前での無根拠な恩赦(「このオペラでは正義よりも慈悲が重んじられるのだ」というセリフは有名です)からの大団円という流れを踏襲しています。ただ、大団円を導く力として音楽を前面に押し出したというのは、無理筋な脚本を音楽劇にすることで大ヒット作となった原作への批評性が込められていると感じ、非常に興味深いと思いました。

 ただ個人的には、道理に合わないことや考えを尽くされていないことを音楽で飲み込ませるというそもそものコンセプトに違和感を拭えなかったのも事実です。この作品はミュージカルの源流ともいわれており、ミュージカルに対する違和感と同じようなものを感じたのかもしれません。

 演出は派手で、大掛かりな舞台装置はもちろん、スナック菓子の袋でできた衣装、ビニールシートにガムテープで描かれたキャプションなど豪華さとチープさを上手く組み合わせていた印象でした。ただ、演出、主宰、主役を1人で兼ねてしまうのは、その人のテイストが強すぎて観ていて疲れてしまったというのも正直な感想です。

 

10/23 Awhooo『パンと日本酒』@スタジオ空洞 

 西日本のカンパニーを観る機会があまりなかったため観劇しました。

 舞台設定は「カガチミムス」と呼ばれる水棲動物による感染症、通称大津病が蔓延した近未来の日本で、「カガチミムス」を隔離・保管する施設の一室での風景が描かれます。

 最初は「お仕事演劇」によくある新人と経験者のミスコミュニケーション、仕事に対する態度の違いなどが描かれていきます。しかし、上の階や周囲から本来聞こえないはずの「カガチミムス」の気配が漂ってくるところから疫病SFチックな展開へと進んでいきます。

 どこか表向きは常識人のボケ*3と一見破天荒なツッコミ*4という役割分担が明確になっているのはやはり関西の文化なのかな、と思いました。

 やはりこの時期に感染症、となるとコロナを強く連想させますが、うまく現実の後追いにならないよう、要所がアレンジされていたうえ、ポップな仕上がりであまり深刻にならずに観ることができました。

 

10/26 青年団リンクやしゃご『ののじにさすってごらん』@こまばアゴラ劇場

 こちらも支援会員プログラムで観劇しました。

 コロナ禍における国際シェアハウスが舞台で、いわゆる技能実習生問題が主題として取り上げられています。他にもコロナ失業した中年フリーター、キャバ嬢など、劇団の表現を引用すると、『社会の中層階級の中の下』の姿が描かれます。

 その中でも物語の核になるのが、2人の技能実習生にかけられた農作物盗みの疑惑です。彼らが本当に盗んだかどうかは明確には示されていませんが、ストーリー上は冤罪の可能性が高い描かれ方をしています。

 ただ、野菜が売れなくなっただけでベトナム人に盗みの疑いをかけるヒステリックな農家、というのはかなり無理筋な人物造形で、そこからゼノフォビアを見出すのは恣意的かつ露悪的に過ぎるのではないかと感じました。

 コロナによって追い詰められた弱者がさらなる弱者を迫害する、という構図はわかりやすく糾弾することができ、きっと書いている側も見ている側も「外国人との共生」を推進する正義の側に浸って気持ちよくなれる作品かもしれません。

 

 前作『アリはフリスクを食べない』もわかりやすい弱者*5を取り扱っているようですし、今作も技能実習生の他にも、強迫性障害を伺わせる中年男性など、弱者性が決定付けられた人物が出てきます。

 彼らに向けられるメッセージは一見暖かいですが、その背後や描き方には彼らを自分たちよりも弱い者とみなす不遜な見下しがあるように感じられ、あまり愉快なものではありませんでした。


 さらに観劇した当日、ベトナム人技能実習生が豚を違法に解体した疑いで逮捕された、というニュース*6が流れました。彼らは結局釈放されたようですが、現実問題として、窃盗などで逮捕されるベトナム人は多いようです。

 それを解決するためには、「清く正しく生きているのにゼノフォビアによって迫害されるベトナム人」像を描いて「共生は大事だ、彼らは悪くない」と悦に入るのではなく、実際に犯罪に手を染めるに至った理由を知り、「彼らとどう共生していくのか」ということを理知的に考えることではないかと思いました。

 有り体に言えば、エビデンスやファクトが最も重視される領域*7に、いわゆる「お気持ち正論」を一方的に述べて気持ちよくなる*8のはあまり賢い行動とは思えないと感じました。

 

10/27 うさぎストライプ『あたらしい朝』@アトリエ春風舎

 『「どうせ死ぬのに」をテーマに、演劇の嘘を使って死と日常を地続きに描く作風が特徴。』というコンセプトを知って以来、ずっと気になっていた劇団の新作ということで観劇しました。

 今回の作品は「どこかに行きたいと思っていた。でも、そのどこかはどこにもない。」というキャッチコピーで「旅」を軸として、あったかもしれない旅、あって欲しかった旅、もうできない旅が渾然一体となって描かれます。その旅は、どこか切なさを湛えつつも明るいテイストで祝祭的に描かれます。そんな中でも『あいのり』や昭和歌謡など様々な時代背景を窺わせる事物が参照されるのが印象的です。


 作中の「もうできない旅」は「もういない人*9との旅行」を念頭に置いて描かれていますが、その状況と4-5月の「どこにも行けない」状況が重なり合って切実な効果を醸し出していました。


 「どうせ死ぬのに」という逆説の先に続きうる「どうして生きるのか」、「何をするのか」、「何を喜ぶのか」という問いは、「どうせ旅は終わるのに」の後に置いてもいいものなのかもしれないと思いました。ネガティブな現実を背景に置くことで、それでも生きる私たちの営みが普段より少しだけ輝く、そんな作品でした。

 ちなみに、彼女らの作品のキャッチコピーはいつも投げやりでうっすらとした諦めに満ちていて、不思議な魅力を感じます*10。もちろん、これらのキャッチコピーは前述の「ネガティブな現実」を端的に表したもので、その後に差し込む一筋の光はとても美しい物なのだと思います。

 

10/30 iaku『The Last Night Recipe』@座・高円寺

 好評だった前作の『あつい胸さわぎ』が個人的には楽しめず、別の作品を観たいと思っていたため観劇しました。

 メインテーマは「一緒にいるだけの相手に愛が芽生えうるか」という内容なのですが、このテーマを置いた時点で、NOという結末はほとんどあり得えないように思いますし、実際予定調和的なYESに向かって物語が進んでいきます。そして、その愛に照らされてこれまで自我をほとんど持たなかった男が自我を獲得していくという結末を迎えます。

 このストーリーだけであれば、同居のきっかけが出世心だけであることや、結婚へ踏み切るにはあまりに逡巡が描かれないという点、結婚に必然性がない点、「単純接触の法則というくらいだし、少しは情は移るだろ」というツッコミはあれど、御伽噺的なラブストーリーとして楽しめたかもしれません。

 

 しかし、これは作者が意図したことかはわかりませんが、ストーリーをコロナにめちゃくちゃにされてしまった印象を強く受けました。物語の本筋とは関係なくコロナ禍の風景が挿入されるのもいまいちだと感じましたし、作者の不安が先走っている印象を受けました。

 前作も、標準治療が定まっており、おそらく温存手術でできる症例を科学的に扱うことなく、がんという単語だけをややヒステリックに取り上げた印象がありましたが、今作もあまり理知的な取材をされずに医療の問題に首を突っ込んできたのは残念でした。さらに今回はワクチンというエビデンスを無視した「お気持ち」がすでに有害な影響を及ぼしている分野に、無意味かつ不用意に踏み込んできたのはかなり印象が悪かったです。

 「妻」が死ぬのは交通事故でも心筋梗塞でもなんでもいいはずで、コロナワクチンを打った当日に不審死、という設定の意義が全くわかりませんでした。ワクチン副作用の有無は科学的に明らかになる前ですし、そもそもワクチンの成分がどんなものか我々医療従事者もわかっていない状況です。

 確かに、ある程度リスク-ベネフィットが明らかになった状況で、リスクを大きく評価して個人的に打たない、というのは仕方ないかもしれません*11。しかし、何もわからない現状で「ワクチンで死ぬかも、ワクチンの裏には汚い利権構造がある」という設定を持ち出すのはあまりに無遠慮なのではないかと感じました。

 個人的には、科学というエビデンスやファクトが物をいう領域に対して芸術の皮を被った無知で殴り込みをかけたつもりになっている人は、もう少し身の程を弁えたほうがいいのではないかなと思っています。

*1:もちろん初老夫婦の娘ではありません。共通点は同じ時代を生きたということだけなのでしょう

*2:光るパンツ/戯曲では火と表現されています

*3:新興宗教、テロリストなど

*4:物語の進行役

*5:知的障害者

*6:https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21275

*7:最近はEBPMという言葉もやや廃れてきましたが

*8:宇野常寛『母性のディストピア』に詳しいです

*9:作中ではペストマスクで示唆されるのがさらに印象的です

*10:『いないかもしれない』:「かつて教室の隅っこにいた私たちは、いまも世界の隅っこにいる。」、『ハイライト』:「おめでとう、そしてさようなら。もう、こんなところにはいたくない。」

*11:本来ワクチンは集団免疫効果を期待するものなので大手を振って是認はできませんが