2021年4月 観劇記

 はじめに

 4月からは 首都圏の精神科病院にて精神科研修を無事始めることができました。仕事を始めて数ヶ月ですが、観劇はもちろん、これまでの人生で得てきた文化資本を総動員して臨床にあたることができるのは楽しいなと感じています。

 3月中にコロナワクチン接種を完了したこともあり、4月もいくつかの作品を観ることができました。

 月末の緊急事態宣言でやしゃご『てくてくと』、ロロ『いつ小(略称)』が飛んだのは残念でした。特に『てくてくと』では「発達障害バブル」とも揶揄されるこの状況でいかに発達の凸凹がある当事者を描くのか興味があったのでなおさらでした*1

4/4 グループ・野原『自由の国のイフィゲーニエ』@こまばアゴラ劇場

  支援会員プログラムに入っていたため観劇。
 東ドイツの劇作家フォルカー・ブラウンが1992年に著した作品とのことで、相当政治的なのだろうと思っていたが、思ったよりも抽象的な舞台で驚いた。
 全ての社会・政治的な言説はギリシャ神話をリファレンスする形(オレステスに強制的に解放されたイフィゲーニエと、“民衆“や国際社会によって“解放”された東ドイツを重ねるなど)で比喩的に行われ、その真意を全て知ることは同時代性がないと難しいものだろうと感じた。ただ、当日パンフレットや彼らのWebサイト(

groupnohara3.wixsite.com)

で意図は説明されており、置いてきぼりにされることはなく楽しむことができた。
 また、演出・演技自体もかなり先鋭的な印象を受けた。特に、第一幕『鏡のテント』は顕著で、セリフはほとんど聞き取れない中、緑色の照明の中登場人物が苦しむ姿をひたすら提示されるなど、ただでさえ抽象的な戯曲の中身が抽象的な演出に覆われてあまり伝わってこなかったのは心残りだった。
 ただ、もちろん忠実に上演することだけが全てではないと思うし、制作者の方々の思索や格闘の跡をしっかり目撃することができたので十分満足できる体験だった。

4/4 ゴジゲン『朱春』@ザ・スズナリ

  前作『ポポリンピック』が印象的だったため観劇。

 上手くいかないクリエイターを主人公に据え、実際は何も問題が解決されない/破綻するが、心持ちの問題に還元して現状を肯定するというメンタリティは、ゴジゲンのメンバーの一人が主催する劇団献身『知らん・アンド・ガン』と共通していたように感じた。宇野常寛の述べるところの「ヒッピー・サブカル」の思想(世界は変わらないから世界の見方を変える)とも通底しているかもしれない。

 ただ、「しょうもなさ」も売りにできる芸人を主人公に据えたり、しっかりモラトリアムの終わり、そして希望に満ちたその始まりを同時に描くことで、「売れないけどいっか」という現状肯定に留まっていないのは大きな違いだろう。時間軸の使い方自体は部活ものや親子ものでよくあるものではある*2が、その楽観的な見方に説得力を持たせるものだったと感じた。
 前向きで分かりやすいが浅くはない、という丁度いい塩梅の舞台で、破天荒な『知らん〜』よりも好みだった。

 ただ、「好きなら良いじゃん」という客観性の欠如は前作『ポポリンピック』とも通底しているし、こういった作風の作品を仲間内で作り合っている点には不健全さも感じた。
 作劇者はかなりの才覚があり「好きなこと」で成功しているようだが、大体の人はそのような才覚はないことを自覚し、こういった作品に影響されすぎないようにすることも大事かもしれない。

 

4/10 ハコボレ『世別レ心中』@花まる学習会王子小劇場

 落語と演劇の融合という物珍しさに惹かれて観劇。
 古典落語の『鰍沢』を演じたのち、それを題材にして一人芝居をするという企画。演目は変わるものの、同じ表現手法を続けているとのことであった。
 笑うために来ている(=ある程度協力的である)観客の存在を前提として、空気を動かし、駄洒落レベルの「なんてことないこと」で観客を楽しませるのが落語の技法なのかもしれないと感じた。ただ、その作為性や侵襲性は、演劇的なもの(対話性や相互性)とは相容れない部分もあるように思えた。
 演者が自覚を持ち、技術を培っていけば、その作為を観客に悟られることなく巻き込むことができるのだろうが、今回はそのレベルに至っていなかったと感じた。
 表現手法としては面白い点も多々感じたので、今後の作品もチェックしていこうと思った。 

4/11 新国立劇場・人を想うちからVol.1『斬られの仙太』@新国立劇場・小劇場

 新国立劇場の今年のシリーズテーマは『ひとを想うちから』。日本の作品を3作選んで上演する企画とのこと。
 一作目となる本作は、幕末の水戸藩を舞台とした4時間超の大作。激動の時代を各々の信念(それは”個人/民衆への想い“だ)を貫きつつ行動し、時に対決する姿が印象に残る舞台だった。
 個人的に歴史物には苦手意識を持っていた(演劇だけでなくドラマ・小説でも、何に集中すればいいのかわからないのだ)が、銘打たれたテーマのおかげで鑑賞の軸が定まり
楽しく観ることができた。
 デタッチメントとコミットメントの間で揺れる主人公の姿を適切な熱量で演じた伊達暁さんの演技もとても印象的だった。
  

4/17 カクタラボ『明後日の方へ』@小劇場・楽園

 お気に入りの劇団の新企画とのことで観劇。
 劇団の若手が2人1組となり計5編の短編を上演する企画で、バラエティに富んだ作品を楽しむことができた。コント的な勢いを持ったコメディ調の作品が多かったが、その中でもしっかり感情や思考にフォーカスする瞬間があるのが印象的だった。本公演でヘビーな作風をこなしている賜物かもしれない。
 どの作品も面白かったが、特にコント版『熱海殺人事件』とも言える「海辺の二人」が妙な熱量に押し切られ、マスクの下でずっと笑っていた。 

4/18『ポルノグラフィ』@神奈川芸術劇場・中スタジオ

 去年から楽しみにしていた舞台だったので観劇。
 ロンドンオリンピック招致決定前後の日々を描くこの作品をはじめとして、オリンピックに合わせた形で挑戦的なプログラム(真の多様性を示す『虹む街』、ザハ・ハティドを題材にしつつ犠牲となったものの声を描く『未練の幽霊と怪物』)を組んでいるのは素敵というほかない。

 ロンドン同時多発テロの犯人のような極端に暴力的な形に至らずとも、その種のようなものが我々の中に潜んでいること、そしてそれらの一部は些細なきっかけで「黄色い線」を越え行動として現れてしまうことが淡々とした筆致で描かれていた。
 その中でやはり印象的なのは「黄色い線」を越えた=「潜んでいた感情を行動に移した」ことで、孤独に風穴を開けた老婆のエピソードだろう。その他の陰鬱*3なエピソードが「感情の発露や人間の相互作用は基本的にいい結果を産まない」という印象も残しうる中で、このエピソードを最後に据えることで、明るい後味の舞台に仕上げたのは御時世の影響も大いにありそうだと感じた。

 これは余談だが、原文でも「黄色い線」がyellow lineと表現されているのだとしたら、テロのように絶対超えてはいけない一線をred lineと呼ぶこととの関連もあるのかなと思った。

 

 

 

*1:『ののじにさすってごらん』で目立っていた人間の弱者性を強調する描き方がされていないといいなと思います

*2:ウェルダースオリジナルのCM「今では私がおじいさん、孫にあげるのはもちろんヴェルタースオリジナル。なぜなら、彼もまた特別な存在だからです 」と言えば分かりやすいか

*3:まさに「地獄のようなイメージ」だ