2021年 9月 観劇記

 

はじめに

 2022年も5月に入り、もう1/3が過ぎてしまいました。年々1年が早く過ぎるようになる、とは聞いていましたが、ここまでのものとは思ってみませんでした。

 老いを想定することと実際に経験することにはやはり大きなギャップがあるのかもしれません。

 この記事ももう200日以上前の記録になりますが、これも実際に経験したことなのでなるべく当時の記憶そのままに残しておこうと思います。

 

9/4 桃尻犬『ルシオラ、来る塩田』@三鷹市芸術文化センター・星のホール

 MITAKA ”NEXT” SELECTIONの一作だったので観劇しました。
 初観劇の劇団で、そのチラシのデザインやビジュアルに相容れなさを感じていましたが、その不安は的中してしまいました。
 前半は母に捨てられ、牧場に居候するきょうだいと取り巻く周りの大人たちの姿が描かれます。当初はやや牧歌的に過ぎるほど、周囲の大人は“いい人”に描かれ、きょうだい感の葛藤にフォーカスがあたります。
 しかし、徐々に子を捨てた母、金を無心する親族など、徐々に大人の汚い部分が描かれ、徐々に物語は不穏な雰囲気を帯びていきます。ここまででも登場人物のヤンキー的で浅い人物造形や下品でうるさい言葉遣いに辟易していましたが、さらに物語は悪い方向に展開していきます。
 突然、隣人の中に殺人鬼が紛れているという設定が明かされ、そこからパニックスリラー的な物語が始まります。おそらく、この展開はこれまでのドラマ/大人に潜む欺瞞性を暴き、その中で残るきょうだいの絆を描く、というものを意図したものではないかと感じましたが、その絆も説得力をもって描かれているようには感じられませんでした。 
 「砂場で作ったお城を自分で壊して悦にいっている大人」を眺める程度のカタルシスしか得られず、何も残らない時間でした。
 ここまで「次はみない」と確信できる芝居も珍しいので、逆に印象に残っています。

 

9/5 うさぎ庵『山中さんと犬と中山くん』@アトリエ春風舎

 支援会員制度で観劇しました。
 5人の俳優による企画で、2作の短編と5人の朗読というカラフルな小品集といった舞台でした。

 個々の物語としても、全体の舞台としても刺激的というよりはまったりとした作りで、幕間のゆるっとした雰囲気と合わせてリラックスすることができました。

 個人的にはキャラメルボックスの西川さんの飄々としているが芯が通っている演技が昔から好きだったので、小劇場という狭い空間で演技を観られて嬉しかったです。

 

9/11 KAATプロデュース『湊横濱荒狗挽歌』@神奈川芸術劇場・大スタジオ

 KAATのプログラムを信頼しているため観劇しました。
 タイトルは「みなとよこはま あらぶるいぬのさけび」と読み、歌舞伎『三人吉三』を下敷きにした舞台とのことです。

 そのため、大筋は任侠もの/アウトローものなのですが、その血生臭さが若者のエネルギーや、機械人形や謎のマスター、ファンタジックな設定で中和されており、最後まで楽しく観ることができました。また、銃撃戦や殺陣の演出も面白く、観客を惹きつけるもののように感じました。

 ホテルのロビーを舞台にした一幕ものなのですが、このレトロモダンな雰囲気の物語を成立させているのは舞台の外に拡がる横浜という都市やそのイメージであり、この土地ならではの作品だなぁと面白く観ていました。
 警察の腐敗を描くのも、神奈川*1ならではだなと思ったのは穿った見方が過ぎるかもしれません。

 

9/11 KAATプロデュース『近松心中物語』@神奈川芸術劇場・ホール

 『湊横濱〜』と立て続けに観劇しました。こちらの作品も古典(『冥途の飛脚』)を題材としていますが、『湊横濱〜』とは異なり原作と同じ時空で描かれています。もはや近代演劇の古典とも言える作品とのことですが、その名に恥じない強度がある作品だなと感じました。
 いわゆる心中ものは、恋人同士の情念の強さ、身分制度からの逃避の終着点を心中という形で表現してカタルシスを得るものと思っているのですが、その単純さに安易に同意できない点もあったことも事実でした。
 この作品では、2組のカップルの心中が描かれているのですが、一方は「従来の」心中ストーリーが描かれます。しかし、白眉なのがそれと対比して「心中をしたい」、「恋に恋している」といった感情にドライブされる形での心中未遂が描かれるという点です。これは、ある意味どうしようもない結果であった心中を他の選択肢もある中であえて選択する、そのことで自己憐憫に浸るという歪んだプロセスであり、その純粋な歪みというべき感情とそれに振り回される男の姿がコミカルに描かれているのです。
 そして、「『曽根崎心中』に憧れている」というセリフが作中にあるように、心中を理想化し、そこにさらなる意味を付加してきた物こそ、人形浄瑠璃と言う演劇であり物語であることは言うまでもありません。

 つまり、この作品は従来の心中ものを精密な筆致で描くと同時に、心中ものの構造や、作品がもたらす効果までを冷静な目線で描くことで相対化しているのだと感じました。
 また、 2つの物語は、その動機だけでなく結果も異なります。前者は期待される通りのドラマチックな死を描き、後者は男の方だけ生き残り、そしてみすぼらしくも生きる道を選びます。物語としては「例外的」であるこの男の、みっともなさ、割り切れなさ、複雑さこそが描かれるべきリアルな人間の姿であるのかもしれないななんてことを思いました。

 名作には名作と言われるだけの理由があることを実感した作品でした。

 

9/25 アンカル『昼下がりの思春期は漂う狼のようだ』@東京芸術劇場・シアターイース

 モダンスイマーズの蓬莱竜太さんが始める新しいプロジェクトとのことで鑑賞しました。
 若手俳優のショーケース企画*2ではあるのですが、それにとどまらない充実した作品になっていました。
 家庭の事情で広島に転入してきた「はだしのゲン」と呼ばれる女子を主軸にとある中学3年生が送る1年が描かれる群像劇なのですが、そのエピソードがどれも粒揃いで、一人もないがしろにされていないのがとても印象的でした。
 家庭環境からグレる男子、女子同士の微妙な権力争い、文化部というアジール(「私が演劇を好きな理由」のスピーチは鬼気迫るものがありました)、さらにあぶれたもののためのウサギ小屋/オカルトというより辺境のアジールなどなど、言葉にするとどれもありふれたものなのですが、そのどれもが細やかにかつみずみずしく描かれていました。

 観客一人一人が各々の思春期を想起できるような、普遍性を持った作品のように感じました。2021年ベスト候補の一つです。

 

9/26 コトリ会議『スーパーポチ』@こまばアゴラ劇場

『おみかんの明かり』が印象的だったため楽しみにしつつ観劇しました。
 正直、年老いた父母のもとに娘が帰って「エモくなっている」、ということ以外はほぼ分かりませんでした。
 劇中の「非現実的な」出来事が、劇中においてはほとんど意味を持たず、観客にコンテクストを参照させ、感情や台詞に説得力を持たせる目的で使われている印象がありました。そのせいか、「劇での出来事」のつながりはほぼ離断しており、もはや破綻しているレベルだと感じました。
 自分の認知様式とは全く反りが合わない劇団でしたが、「演劇を通して自分を知りたい人*3」にとっては良い演劇になるのかもしれません。

*1:神奈川県警は不祥事が多いことで有名です

*2:ご多分にもれず、初演時は役名=芸名という設定でした

*3:それはむしろ演劇を上演する側のニーズのような気はしますが