2024年1月 観劇記

はじめに

 2024年になり、一度過去の負債をリセットして直近のものから観劇の記録を残しておこうと思います。今年もお芝居や旅行、仕事と楽しく過ごせればいいなと思っています。

 

1/3 20歳の国『長い正月』@駒場アゴラ劇場

  新年から支援会員で観劇しました。とある一家の百年を演劇で描くという触れ込みで、マジックリアリズム的な作品を予想して行ったのですが、想像を上回る素晴らしい作品でした。

 構造それ自体としては、年越しの一場面を時系列順にシームレスに繋げるというシンプルなものなのですが、そのルールがわざとらしくなく、しかも分かりやすく提示されていることがまず印象的でした。 

 さらに舞台を奥深いものにしていたのは、「舞台の下手から退場することは死去を意味する」というルールでした。このおかげで、観客は家族の物語や時間の流れにつきものである死を常に意識させられます。そしてその環境で発される「あなたが死んだ時、私が最初に労ってあげる」というセリフは強く心に残りました。

 それ以外にも、無理なくカラオケを劇の中に導入するだけでなく、歌そのものに物語上の意味を与える技や、劇の内外で示される真面目なユーモアとホスピタリティにも楽しませてもらいました。  どこをとっても完璧に近い、ここ数年でもベストに近い作品でした。

 

1/12 namu『地獄は四角い』@OFF・OFFシアター

 タイトルが気になったことに加え、旗揚げ公演というのをあまり観たことがなかったので観劇しました。正直に言えば、作者の表現すべきテーマの乏しさに由来する空回りとそれにに対する開き直りを観させられる残念な時間でした。

 物語は「売れない俳優が閉じ込められて、演劇でサバイバルゲームをする」という、いかにもB級な場面から始まります。当初はこのままこの設定が続くならキツいと感じたので、程なくしてそれが劇中劇であることが明かされた時は安心しました。

 しかし、その後に繰り広げられたのは、いわゆる「小劇場あるある」で、しかも演劇それ自体ではなく「演劇人の苦悩的なもの」(例えば爛れた人間関係や、ノルマ、集客、台本ができないといった事象)にフォーカスが当たり続けるというより悲惨な光景でした。

 しかも物語は「SNSという外的要因で公演を中止し、最後には素の役者が自分のことを語って終わる」という破綻に至ります。

 観客は演劇には興味はあるが、演劇人には何の興味もない、というのは言い過ぎかもしれませんが、つまらない自意識の開陳にお金を払う義理はありません。このテーマでやるには東京夜光『BLACK OUT』なみの作り込みと自己洞察が必要だと思います。

 そもそも、「演劇に関する演劇」というのは自己言及的で空虚な内容になりがちであり、「演劇の機能」に関して何か主張があれば、別のテーマを語る中で示すことが本来的だと思うのです。*1

 先輩女優にもう一度公演をしないのか尋ねられて「やりません」と応える最後のシーンは、それでも「いまここで演劇をやっている事実との対比」を狙ったものでしょうが、このレベルであれば、やらないままの方が皆が幸せになる気がしました。

1/14 多摩美術大学演劇舞踏デザイン学科『音楽』@東京芸術劇場・シアターイース

  多摩美術大学の卒業公演は、『一億マイルの彼方から』がかなり面白かったので、毎年楽しみにしているのですが、今年は原作(しかも数年前に映像化されたもの)付きとのことでさらに興味深く観ました。

 基本的にはストーリーがシンプルな分、衣装や大道具、音楽など卒業生の皆さんの様々な成果を楽しむことができました。

 例年通りに気合の入った大道具をみていると、ストーリーは制作期間の長さがあまり面白さに影響しない一方、物理的な制作は制作期間+情熱がダイレクトに出るのが面白いなと思いました。

1/18 シニフィエ『ひとえに』@こまばアゴラ劇場

  支援会員で観劇しました。落ち着いた雰囲気で、思索に富んだ感は好みでしたが、実際は作者のTwitterタイムラインを可視化したような俗っぽい内容でやや期待外れな作品でした。

 最初に描かれるような「聞いてくれて/話してくれてありがとう」という「理想的な対話」が、何によって阻害されるか、というテーマを取り扱っているように感じました。 その発想自体は面白く、とても重要なテーマだとは思います。精神科業界でも『聞く技術・聞いてもらう技術』という本がベストセラーになるくらいですし、オープンダイアローグの広まりもあり、個人的にも他者がどのように考えているのか知ることができて有意義でした。

 

 しかし、物語としては、特定の政治思想やセクトの内部事情が批判的吟味なく頻繁に描かれる一方、政治家など外部の「阻害因子」の描き方があまりに陳腐というアンバランスざが気になって楽しめませんでした。

 さらに言えば、阻害される要因をほぼ外在化して描いている(例えば依存症自助グループのルール*2のように「内部」や「振る舞い」レベルにも対話の成否を左右する要因はあるはずです)というのも、自己批判の乏しさや他責的な要素を感じてしまいました。

 理想のレベルは高いのですが、期待していただけにいわゆる「演劇畑」との思考の方向性の違いを痛感した作品でした。

1/25 劇団あばば『paraiso』@スタジオあくとれ

 あるyoutubeの動画を観て、まだまだ知らない団体があることを痛感したので、その中で紹介されていた劇団を選んで観に行ってみようと思いました。全体としてはスタンダードな作品なのですが、徹底的にディテールにこだわった作品で楽しむことができました。

 おそらく、「居酒屋バイトあるある」の集合なのでしょうが、前述の『地獄は四角い』とは違い、個々の成長や喜び、挫折の物語がしっかり練られており、単なる羅列に留まっていないのは素敵でした。

 さらに感服したのは、今あえて「大震災」を遠景に置いた作品を作るというセンスです。おそらく、同じ展開を「コロナ」にしても成立するのでしょうが、生臭い要素を選ばずに、こちらにアナロジーを想起させるという形はとても印象的でした。単に当時の実体験をそのまま写しただけで、こちらの買いかぶりかもしれませんが、それでも楽しい時間でした。

1/26 柿喰う客『いまさらキスシーン』@こまばアゴラ劇場

 柿喰う客は一度『御披楽喜』を観て、勢いと派手な演出で押し切るというスタンスがジャンクフードのようであまり好みではなく敬遠していたのですが、無料で観られるとの事で再チャレンジしてみました。

 内容に関しては有名な作品で、youtubeに動画もあがっているので省略します。必然性がない暴力描写には驚きましたが、不思議と下品さを感じさせないのが技だなと思いました。

 別作品のアフタートークでも話題に挙がりましたが、語りを主とした一方的な構造は*3落語や群読、講談と言った話芸に近い気が印象を受けました。今回はシンプルな演出だったので、前作に観た暴力的なまでの印象はありませんでしたし、1人で舞台を回す俳優の力には素直に圧倒されました。

 ここでかできない体験だとは思いますが、やはり私が演劇に求めるものは彼らにはない気がしました。

 

1/26 柿喰う客『八百長デスマッチ』@こまばアゴラ劇場

 この作品は3作品のうち唯一の2人芝居という事でしたが、スタンダードな芝居とは大きく異なりシンクロナイズドスイミングを観るような体験で楽しむことができました。

 心身ともに極限状態に追い込まれる中でもユーモアや笑顔を忘れない俳優という生き物の強さを痛感しました。

 

1/26 コンプソンズ『海辺のベストアルバム‼』@小劇場B1

 前作『愛について語る時は静かにしてくれ』がかなり面白かったので、今回も期待して観劇しました。技術とテーマの融合もハイレベルで、個々のユーモアや俳優陣の熱演も十分楽しめるものでした。ただ、テーマが「正しすぎ」るうえに、やや説教臭さがある点には複雑な気持ちもありました。

 構造としては、「『殺人犯の再犯を防ぐ』物語の主導権を巡るメタフィクション的な争奪戦」+「そこに巻き込まれる本来『無関係』なトリオのコミットメント」を最終盤まで描き、最後にハマス/イスラエルの紛争を参照する事で、「『虐殺』を防ぐ主導権を『こちら』に取り戻せ」+「『本来無関係なお前ら』もコミットしろ」というメッセージを送るというものになっているように感じました。

 それと関連し、村上春樹の『かえるくん、東京を救う』を参照し、「デタッチメントからコミットメントへ」というスタンスを表明したり、『マトリックス』の赤いピルを引用し、「主導権を握らない事の愚者性」に言及したりと、パロディーが上手く使われていた印象を受けました。

ただ、最後に全てが「テーマに奉仕させられていた」という事がわかると、その隙のなさやメッセージの強さがかえって苦しくなってしまいました。

 感覚としては、楽しく話していたのに実は宗教勧誘だった、みたいな感じに近いでしょうか。 より具体的に言えば、個人的には、芸術には一定程度「正しさへの懐疑」から始まる冒険と、そこから得られる新たな発見が必要だと思っています。

 そのなかで、「正しい」ことが最初から決まっていて、そこにどう乗っかるか、という大喜利大会になった作品はあまり新しい発見がない、という一点のみで面白くなかったといわざるを得ません、同じ政治思想を持つ「同志」には堪らない作品になったのではないでしょうか。

 

1/28 柿喰う客『いきなりベッドシーン』@こまばアゴラ劇場

 こちらも柿喰う客の一人芝居で、基本的には同じ感想を抱きました。

 ただ、今回の作品は登場人物の独りよがりな思考、合理化や反動形成、躁的防衛といった内面の動きがあからさまに描かれていて、これが一方的な脚本/演出とマッチしていて不思議な魅力がありました。50分の長丁場を演じ切るのはかなりタフだと思いますが、疲れを何も感じさせないのはさすがの一言でした。

 

*1:前述の『長い正月』も、演劇の機能をこれでもかというほど主張していました

*2:「言いっぱなし・聞きっぱなし」や「ここで話した内容は外に持ち出さない」「批判は禁止」

*3:おそらくそこを毎回のアフタートークSNSなどでカバーするというスタンスなのでしょうが

2022年 2月 観劇記

 

はじめに

 このブログも放置気味になってしまいましたが、自分なりのペースで更新していこうと思います。今も精神科医として割と元気に仕事をしています。

 

 

2/3 『理想の夫』@新国立劇場・小劇場

 新国立劇場の演劇研修所の公演は、優れた戯曲を(比較的)スタンダードな演出で見ることができるので毎年楽しみにしていました。

 今年はオスカーワイルドの日本初演となる作品でしたが、素晴らしい作品で驚きました。

 物語は単純に言えば、「パートナーに対する過度の理想化と信仰、そしてその弊害」が描かれているのですが、それにとどまらない「思い込み(今作では、妻→夫の理想化だけでなく、夫→妻の「本当の自分は受け入れられてない」という不信感)によるミスコミュニケーション」と「相手を受け入れ、しっかり対話すること」の大切さが力強く描かれていてとても印象的でした。

  色とりどりのドレスや華美な家具といった衣装・小道具/広い空間を活かした演出などの新国立劇場らしい部分と、若手俳優陣のフレッシュな部分という両者がうまく融合した上演のように感じました。

 同時期に宝塚で上演されていたとのことで、機会があればそちらも見てみたかったなと思いました。

 

2/12 東京夜行『悪魔と永遠』@本多劇場

  『BLACK OUT』以降なるべく観たいと思っていた劇団の最新作が、いきなり本多劇場で上演されるとのことで観劇しました。泥沼不倫で芸能界からほぼ追放されかけていた東出昌弘を主演に据え、おそらく当てがきで製作された作品という話題もあり、興味深く観ました。  物語は、東出演じる男が酔った勢いでとある少女と飛び降り心中を図るシーンから始まります。しかし、少女は(ちゃんと)飛び降りたのに対し、男は直前で怖気づき、図らずも生き残ってしまいます。生き残った男は「女を殺した」という罪で収監され、一度全てを失います。そして、それ以来男には少女の霊が見えるようになったというダークな設定にまず驚きました。

 その後、男は前科者や外国人が集まる建築会社に拾われますが、そこでもプライドの高さやバックグラウンドの違いから馴染むことができず、さまざまな不和が起こり、最終的には悲劇的な結末を迎えてしまいます。

 その時に発された「何をしたら許してくれるんだ」といった叫びは真に迫るものがあって強く印象に残りました。

  その後健康的に山奥での生活を楽しんでいる彼の姿を見ると、この悪趣味にも思える試みが一つのカタルシスになっている部分もあればいいなと思いました。

 

2/12 お布団 『夜を治める者《ナイトドミナント》』@こまばアゴラ劇場

  支援会員で観劇しました。RPG的な世界観とハムレットをもとに、病、特に精神的な疾患と個人、社会についての思索を示す舞台でした。

 医療的なものを、人をスティグマタイズする権威(作中では「城」)とみなすという視点は面白かったのですが、精神疾患的なものを「種族」に例えてしまったのは大失敗で作品の意義を根底から破壊してしまっていたように感じました。

 なぜなら、作中で描かれる「種族」は変わらない「属性」として描かれていることに対して、病、特に精神疾患の大体は可逆的な「状態」の分類に過ぎず、それを支援の大まかな基準にするといった意味合いが強いからです。もちろん、発達障害や知的障害というのは「属性」に近いものですが、やはり精神医療の対象はその「属性」自体ではなく、そこから派生する不適応や抑うつなどの「状態」なのです。

 これを考えると、脱スティグマを意図する作品が「精神疾患は個人的なもので、不可逆な属性である」という間違ったスティグマを前提としているというマッチポンプのような構造を感じてしまいました。ただこの認識が「社会一般の常識」であるという理解ができたのは「城」関係者としてはとても有意義でした。

  また、半透明な膜を使った演出プランが素敵で、以前芸大卒展でみた作品と似ているなとも思ったのですが、やはり同じ作家さんだったようで嬉しい驚きでした。

 

2/21 山中企画『転校生』@アトリエ春風舎

 こちらも支援会員精度で観劇しました。作品自体は以前に観たことがあったので、どのような違いを感じるのか楽しみにしていました。

 驚いたのは、20人以上登場する女子高生の役を半分以下数の老若男女の役者が演じるという構造でした。記憶が定かではないのですが、元々の脚本では別の人物のエピソードが、1人の登場人物に集約されていた気もします。このことによって、元々の物語にあった「存在の不確かさ」といったテーマが際立っていたように感じました。

 アトリエ春風舎の内装も教室を思い出させてとても印象的な舞台でした。

2022年 1月 観劇記

はじめに

 去年の1月分の観劇記になります。依存症病棟研修も佳境を迎え、これまでの救急病棟勤務とは違った難しさ(”病気”ではないが健康ではない人の扱いや、人を無理なく導いていく技術)を感じていますが、楽しくも大変な日々を過ごしています。

 

1/7 青年団忠臣蔵 OL編』@アトリエ春風舎

 支援会員で観劇しました。松の内から上演するという積極的な姿勢は、「観劇を日常にする」という劇場の方針を体現しているようで勇気づけられます。

 忠臣蔵の四十七士が討ち入りという大胆な結論にいかに至ったのかを、コミカルに描きつつ、日本人/日本語における”意見のすり合わせ”の困難さや、権威主義的な(内容ではなく人で正しさを判断してしまうなどの)部分を戯画的に描く意欲的な作品でした。おそらく平田さんの問題意識は、日本語という言語に内在する構造的な問題に向けられているのかなと感じる場面もあり、とても印象的なお芝居でした。
 典型的なサラリーマン経験がない自分にとっても「あーあるある」と痛感する部分があったので、日頃から無意味な会議や謎の意思決定プロセスに振り回されている人にとってはより響く作品なのかもしれません。

 

1/10 公社流体力学『夜色の瞳をした少女、或いは、夢屋敷の殺人』@調布市せんがわ劇場

 

 朗読見世物という魅力的なキャッチコピーとコンクールのグランプリ受賞という経歴が気になって観劇しました。

 キャッチコピーの通り、舞台は落語や講談に近い形(一方で話芸にとどまらず舞台上でのたうちまわったりなど身体表現を取り入れるのが差異かもしれません)で、演者は役を演じるのではなく物語全体を背負うメディアとして存在する不思議な質感の舞台でした。
 内容自体はメフィスト賞(特に舞城王太郎佐藤友哉)的な特殊設定ミステリィで、よくその手の作品を読んだ中学時代の気分に戻って純粋に楽しむことができました。
 異化効果を狙ったものであろう、過剰にラフな言葉遣いや振る舞いはやや気に障る場面はありましたが、基本的にはスタンダードで、演劇(というより上演)の一面をクローズアップする印象的な舞台でした。

 

1/14 スペースノットブランク『ウエア』@こまばアゴラ劇場

 物語や意図、設定はほぼ理解できないものの、なんとなくな魅力は感じている団体だったこと、ゆうめいの池田さんが原案の作品ということで観劇しました。

 初演も観ていたこともあり、前回よりはディテールを気にして観ることができましたが、まだまだ理解が及ばない点も多く、相変わらず魅力的な不親切さだなと感じました。 アイデンティティの拡散に関係する問題だとは思うのですが、「メグハギ」が何者かは分からず、ドラッグとの関連もあまり分からず…という感じでした。

 支援会員で無料だから観ようとは思えますが、正直お金を払ってまで観るかというと微妙で、興行として成立するか少し心配になりました。

 

1/15 モダンスイマーズ『だからビリーは東京で』@東京芸術劇場・シアターイース

 東京で観劇を始めるきっかけとなった劇団の最新作とのことでとても楽しみにしていました。蓬莱さんの作品は悩める若者の人生の機微をテンプレに陥らないよう解像度高く描きつつも、ユーモアや筆致で深刻にならないように観せるというバランスが素敵だと感じています。

 

 内容自体は、簡単にいってしまえば、コロナ禍を含めた小演劇あるある+演劇人へのエールといったもので、ともすれば「演劇関係者の傷の舐め合い」と切り捨てられてしまうような舞台です。

 しかし、それをしっかりと深い作品に仕立てているのは、各々が抱えている葛藤は「恋人との別れ」「DV+アルコール依存症の父との(心理的な)決別」といった普遍的なもので、それを「演劇か何か」乗り越えようとしようとする姿が鮮やかに描かれたことに尽きるのかなと思いました。

 今でも時折思い出すと、ここでもう少し頑張ってみようと思えるような素敵な作品でした。

 

1/16 多摩美術大学 演劇舞踊デザイン学科『一億マイルの彼方から』@東京芸術劇場・シアターウエス

 美術大学の卒業公演とのことで、今の若い方がどのようなことを考えて表現するのか気になって観劇しました。
 こちらも期せずして「演劇にまつわる演劇」でした。大学を卒業して、これから表現者/もしくは一人の人間として社会にに漕ぎ出す不安と期待、声を上げ続けるという覚悟が眩しい舞台で楽しく観ることができました。彼ら/彼女たちの冒険をこれからも応援していきたいと強く思わされました。
 また、空想の世界をチープにならず説得力をもってあらわす舞台美術も特に印象的でした。

 

1/18 青年団忠臣蔵 武士編』@アトリエ春風舎

 こちらも支援会員として観劇しました。
 「OL編」の兄弟作ということもあり、ほとんど同じ内容でした。OL編ではわざとらしさを感じなかった演出や小ネタがちょっとミスマッチでくどさが出てきた部分もあり、個人的にはより現代的な雰囲気をたたえたOL編の方が好みでした。

 

1/21 スペースノットブランク『ハワワ』@こまばアゴラ劇場

 こちらも支援会員で観劇しました。
 『ウエア』と繋がっている要素はあるのですが、さらに分からなさを突き詰めたような舞台で、ここまで来ると楽しめない部分もありました。せめて原文/原案が提供されれば楽しめたのかもしれません。
 ポップな演出やアイデア一つ一つは魅力的なだけに残念でした。

2021年12月 観劇記

はじめに

 もう2023年になってしまいましたが、一応2021年12月の感想です。各々のディテールは曖昧ですが、”観た記憶/経験”自体は鮮明に覚えているのが自分でも驚きでした。逆に1年以上前ということを改めて自覚し、時の流れの速さにも驚くほどでした。

 

12/4 うさぎストライプ『みんなしねばいいのに Ⅱ』@こまばアゴラ劇場

 観劇趣味を始めて以来、劇団のコンセプトに惹かれ続けていたため観劇しました。コロナで観られなかった『いないかもしれない』のドラマ版も素敵で印象に残っています。
 ハロウィンの狂騒(渋谷の馬鹿騒ぎのイメージです)が終わらずにそのまま続いた世界という設定で、くっついたり離れたり、つきまとったりする男女の姿が描かれます。元々のハロウィン言い伝え通りに、死と生がフラットに描かれる様子は印象的でした。

 何作か観て、この劇団の作劇の特徴は「出来事に対する個人の反応は極めて正常だし、ミクロに何が起こっているのかもわかるのに、知らないうちに遠いところまで連れて行かれている」というところなのかなと感じました。
 とっても丁寧でブルータルな不条理劇ともいうべきこの作品、コロナ禍の支援事業で全編映像も観られるので、雰囲気だけ知るのもいいかもしれません。
 https://www.youtube.com/watch?v=n8bceJI7g4g

 

12/7 『あーぶくたった、にいたった』@新国立劇場・小劇場

 別役実の『マッチ売りの少女』が素晴らしく、別の作品も観たいと思っていた中での公演でした。
 新婚夫婦の婚礼の場面から、その言葉と想像力に振り回されながらさまざまな「あったかも/今後あるかもしれない場面」を描くという試みなのかなと思いました。
 時空間がかなり散り散りであり、人間関係や役柄も安定しないため、何を観たらいいのかわからなくなってしまうこともありました。
 同時代の”小市民的なるもの”や時代背景を知るともっと楽しめたのかもしれないなと感じました。

 

12/9 Melomys 『Dreamtime』@アトリエ春風舎

 全く知らない劇団の公演を手軽に観られるのを楽しみに観劇しました。

 内容はかなり思弁的で、特定のドラマに基づかないなんとなく”正しげ”な主張が繰り広げられるようなものでした。

 光や映像を使った演出はとても印象的で、少し遠いところまで旅をした気分にさせられました。
 一方で、内容に関しては生物種の絶滅という、”ある程度の正しさ”が定められているテーマに乗っかり、ただ気持ちよく主張しているだけであまり面白いものだとは思えませんでした。
 アフタートークも、哲学的な話をしているようように見えるものの、結局起こっているのは権威への擦り寄りと馴れ合いのみで、正直観ていて気持ちいいものではありませんでした。

 大声では言いませんが、人文系の学問しか学んでいないと"何がわかっていないか"*1をわかっていないがゆえに、全てを知っているように振る舞ってしまう、というのは現代社会の宿痾ですらあると思っています。

 

12/10 gekidan U『おいてきぼりの桜の園』@アトリエ5−25−6

 当時はまだ信頼していた作家さんの新作とのことで楽しみにしていました。
 戯曲賞を取った前作、『リアの跡地』と同様、古典を下敷きにしつつ現代的なテーマを扱う意欲的な作品でした。
 
 東畑開人『野の医者は笑う』にあるような、オルタナティブで制度化されていない癒しや人間同士のつながりのあり方が相変わらずのポップさで描かれていて印象的でした。

 その中でもキーとなっていたのが、重要な他者との葛藤が、治療者や別の他者との間で反復される、転移という現象です。精神医学/分析でよく用いられる概念なのですが、かなり意欲的に調べられていて、粗がほとんど見えないのはいい意味で驚きでした。
 他にも場と繋がり、当事者研究、ケア技法など心理療法における現代的なテーマが盛り込まれていて興味深く観ることができました。
 どの登場人物もプロットも上手く整理されている一方、頭でっかちな印象すら残すような、冷静で観客が物語に踏み込む事を許さないような舞台のように感じる部分もあったかもしれません。しかし、適当にお茶を濁して”主張した気”に浸る作品よりも本気度が感じられて好きな舞台でした。

 

12/19 さいたまゴールド・シアター 『水の駅』@彩の国さいたま芸術劇場

 名前だけは知っていた、さいたまゴールドシアターの最後の舞台を観に行きたいと思って劇場に向かいました。
 別の団体の上演を一度観ていたこともあり、今回は演技や身体に集中して観ることができました。

 その素晴らしさは随所で語り尽くされているので、改めて述べるまではないでしょう。
 普段は若さ/元気さを失った状態として語られる老いが、言葉を纏わず舞台に乗ることで、そこに蓄積された時間や芳醇さを強く主張し、肯定的なものとして存在していた、ということが印象に残っています。

 事前に開催されたワークショップに参加できたのもいい思い出でした。

 

12/23 宮﨑企画『東京の一日』@アトリエ春風舎

 支援会員のプログラムで観劇しました。『忘れる滝の家』の抽象的な演出と東京という現実的な都市生活をどのように融合させるか気になっていました。
 住宅展示場に住み着き、『バートルビー』の登場人物のように”I would prefer not to”を繰り返す男、その住宅展示場で働く人々の風景などなど、特別な何かが起こるわけではないのですが、等身大よりは少し大きい日々が描かれていてのんびり楽しめました。 会話や動きから滲み出る人肌のような暖かさが印象的な舞台でした。

 

12/25 KAAT DANCE SERIES『Le Tambour de soie 綾の鼓』@神奈川芸術劇場・中スタジオ

 クリスマスらしく、少しロマンティックな舞台を観ようと思って観劇しました。三島由紀夫の『近代能楽集』に所収されている作品を下敷きにしており、能のような演出とダンスを楽しめる舞台でした。
  「苦しみ 生まれ 生きる」「苦しみ あなたは踊り 私は生きる」というリフレインに代表される、諦観の果てにたどり着いた希望のようなものを表現する笈田ヨシさんの身体表現も見事で、1年以上経った今でも強い印象に残っている舞台です。

 

12/26 小田尚稔の演劇『レクイヱム』@SCOOL

 岸田國士戯曲賞の候補にも選ばれた『罪と愛』が印象的だったこともあり観劇しました。
 墓場や病院、幽霊などを題材にしつつ、様々な形の死と生の間にあるグラデーションを描き、生を肯定するような素敵な作品でした。 深刻にもなりすぎず、軽薄にも感じられない程よい温度感も印象的でした。

 

12/29 ゆうめい『娘』@ザ・スズナリ

 ゆうめいの「池田家サーガ」ともいうべき作品の最新作ということで楽しみにしていました。
 まずとても印象的だったのが木枠のようなものが「回」の字の形に何枚も重ねられた舞台美術でした。モニターのベゼルだったり、記憶と現実の距離感を示すための演出として使われたりと素晴らしいアイデアだと感じました。
 内容に関しては、これまで「加害者」として描かれた母の過去についてフォーカスがあたっていました。「親の役割を放棄してしまったダメな親」も親も人の子、母の娘であり人間であり、様々な葛藤を抱えていること、そして「(特に母)親としては不適切」と抑圧された思いがあり、それがまた子の葛藤を産む構図を、自分の親について考えながら観ていました。当日パンフレットに挟まれた母からのメッセージ(縦読み)に込められた正直な気持ちはそれゆえにとても印象的でした。
 こんな光景を描いてなお、子を育もうとするという事に、生への讃歌が込められているような気がしました。

 

12/29 マチルダアパルトマン『マンホールのUFOにのって』@OFF•OFF シアター

 大好きな劇団の最新作で観劇締めをしようと思って観劇しました。前半は森見登美彦的な「大学謎サークル(今作ではオカルト)と不思議女子」もので、それはそれで面白かったのですが、白眉なのは後半でした。
 突如物語は15年後になり、カフェ店員が実際の宇宙人だったりとオカルト的なものは否定されない一方、前半の登場人物のほとんどは結婚したり地元を離れたり「普通」の生活を送っています。
 その中で、思い出や”普通の自分”を受け入れられない思いを引きずる1人の女性が過去と決別する姿が描かれるのですが、青春の煌めきと、その後に続く人生の機微が深刻になりすぎずに描かれていてとても印象的でした。

*1:人文学はデータやファクトの扱い方を学べる一方、データやファクトそれ自体を学ぶものではないという問題がそこにはあります

2021年11月 観劇記

はじめに

 精神科医としての研修も1年半が過ぎ、もう折り返しが近くなってきました。今までは統合失調症をメインに診ていたのですが、幅広い症例をとのことで来月からは依存症メインの病棟に異動になりました。

 依存症といえば、國分功一郎『中動態の世界』など人文系とも関わりが強く、akakilike『眠るのがもったいないくらいに楽しいことをたくさん持って、夏の海がキラキラ輝くように、緑の庭に光あふれるように、永遠に続く気が狂いそうな晴天のように』といった舞台作品にもなるような懐が深い分野のように思っています。これまでの経験をどのように活かせるのか今から楽しみです。

 

11/3 劇団た組『ぽに』@神奈川芸術劇場・大ホール

 

 最近はドラマや映画の脚本を手掛ける加藤拓也さんによる人気劇団の新作公演とのことで観劇しました。
 “仕事とお金の責任の範囲”を追いかけっこで示す、というコンセプトの舞台でしたが、それ以外にもダメ男から離れられない女の心理や、金銭や地位を背景にしたマイクロアグレッションなどが描かれてたように感じました。
 とにかく主演女優の方の煮え切らない演技が素晴らしく、他人事なのに苛立ちを覚えるほどのリアリティでした。また、若者言葉を積極的に用いた会話も他の劇にはない面白さががありました。

 内容は、劇中の出来事は総じて派手で、明確に描かれるのに、総論としては曖昧という不思議な感覚でした。
 ”仕事とお金の責任の範囲”は文学や芸術で扱うテーマではなく、経済学や法学などもっとプラクティカルな学問で取り扱われるべきのものというのも、この曖昧さ(中身の乏しさ)につながっている気がしました。

 個人的にはあまり刺さらず、なぜ人気なのかも理解できなかった部分もありました。もう数作観てみたいと思いました。

 

11/9 ぱぷりか『柔らかく搖れる』@こまばアゴラ劇場

 支援会員制度で観劇しました。小劇場演劇を最初に観たのが、この劇団の『きっぽ』という作品であったこともあり、少し思い入れのある団体でもありました。

 作品自体は前作同様家族をテーマとしたオーソドックスな会話劇で、母-娘関係に留まらない深さを感じさせるものでした。演技、脚本、演出どれも現実の生き写しというわけでもないが、非常に劇的でもないというバランス感覚が見事で非常に優れた作品のように感じました。
 その一方で前作にあった身を焼くような情念は意図的に抑制されていた印象もあり、好みが分かれる部分もあったかもしれません。

 岸田賞受賞作品の初演を観たというのも初めての経験で、今振り返ると少しこそばゆい感じもあります。今年の新作も今から楽しみです。

 

11/11 『イロアセル』@新国立劇場・小劇場

 新国立劇場のプログラムを信頼しているため観劇しました。

 「言葉に色がつく」という奇抜な発想と、おとぎ話的なストーリーテリング、現実への批評性のバランスが良い作品でした。

 やはり特筆すべきはその演出で、プロジェクタや色紐、衣装などあらゆる手段で表現された「言葉の色」はそれだけで十分楽しめるものでした。

 物語自体は、色がつく(記名性のある「現実」の)言葉と、囚人のもとで色が消えた(匿名の)言葉の対比という形で進んでいきます。
 本作品は10年前が初演であり、インターネット、SNS社会を風刺したと述べられています。その時代はSNS勃興期というべき時期であり、当初は「言葉の匿名性」が風刺の対象になっていたのかもしれません。

 しかし、今この作品を観ると、その批評性は囚人がマスメディア的な立場で発する無色が故に記名性のある(囚人以外の言葉には色がついているため、無色の言葉は囚人のものである他ない)言葉や、その権力性に届いているような気がしました。
 この背景には、SNSが当たり前のツールになり、匿名というよりも記名性のある言葉でのやりとりが増えてきたこと、それでもなお炎上などの「匿名だから起こると思われていたこと」が増え続ける一方であることなどがあるのかなと感じました。
 非常に面白い作品で、また10年後観たらどのような感想を抱くのかも気になってしまいました。

 

11/13 KUNIO『更地』@世田谷パブリックシアター

 『水の駅』関連ワークショップに当選したため、せっかくの機会なので参加前に杉原邦夫さんの演出する舞台を観たいと思って観劇しました。KAAT『オレステスとピュラデス』が素晴らしかったのも理由の一つです。
 『更地』は太田省吾がバブル期に記した、「初老の夫婦がかつて住んでいた家の跡地を訪れる」いうどちらかと過去や失われたものに焦点があたった作品のように感じました。それを、令和の時代に若い2人が演じるという意欲的な作品のように感じました。

 しかし、その試みはあまりうまくいかなかったと言う印象でした。その最大の原因は、やはり若い2人の劇身体が初老の境地に迫れなかったことのように感じました。
 そのせいか、あらすじを知らなかった多くの観客にとっては、「新婚の夫婦が将来のマイホームの相談をしている」風景にしかみえない場面も多く、本来は郷愁とのギャップを意図したものであろうポップな演出も白けて見えてしまいました。

「太田省吾作品の演出バリエーション」としては、とてもおろしろいと感じる人も多いのでしょうが、作品それ自体をみた時には正直ピンとこない作品になってしまいました。

 

11/13 DULL-COLORED POP 『TOKYO LIVING MONOLOGUES』@STUDIO MATATSU

 好きな劇団の一つであり、最近の硬派な雰囲気とはまた違った演目とのことで楽しみにしていました。
 「わたしが生きていることをわたし以外誰も知らない」というコンセプト通り、社会から何らかの形で疎外されてしまった人たちの生活とそこからの回復の過程が描かれます。
 その回復の端緒となるのが、Qアノン的な「ピザゲート」ならぬ「焼き肉ゲート」や、ヤマトQ的な団体(劇中ではワブド)という構造になっています。 とても印象的なのが、それらの「陰謀論」が作中では一切批判されず、一応の真実として描かれていることです。また、スマートフォン/zoomを用いた参加型の演出などで我々観客の中に潜む孤独や陰謀論的なものへの脆弱性を明らかにするというギミックも末恐ろしいものでした。

 Zoomの演出は配信用の作品としても、”単なる記録映像”以上のものを提供できており、配信と劇場での観劇をうまく融合させるということに成功していたように感じました。

 

 内容それ自体も、多少コミカルだったり誇張された部分はあるものの、真面目に捉えるならば、老い/挫折、セクシャリティ/マイノリティ、ケアラー/貧困などといった現代的なテーマを解像度高く盛り込んでいてとても印象的でした。

 会場のWi-fiパスワードの時点で”yakiniku” ”wabudo”といったキーワードを織り込んだり、仲良しの劇作家をいじったり、劇中歌や劇中劇の部分を本気で作り込んだりなど、ユーモアも抜群でその面でも楽しめました。

 劇団の印象がいい意味で変わる、素晴らしい公演でした。

 

11/18 日本のラジオ『カナリヤ』@こまばアゴラ劇場

「さわやかな惨劇」を掲げる劇団のコンセプトに惹かれて観劇しました。
 実話を基にした作風が特徴とのことで、今回はオウム真理教をベースにタリウム使用母親殺害未遂事件をトッピングした作品でした。

 『TOKYO LIVING〜』と同様、新興宗教の異常性を殊更に取り上げるやり方でなく、それを信じる人の日常をフラットに描くという形の作品でした。
 また、セリフやセリフ回しも意識的に淡々としたものとなっており、そこに団体のしての批評性が見え隠れしてとても印象的でした。

 偶然にも2作連続で似たテーマだったこともあり、「陰謀論」や「病的な妄想」といった、我々とは違うものを信じる人々のことについて考えることができました。

 

11/20 『アルトゥロ・ウイの興隆』@神奈川芸術劇場・ホール

 KAATと草彅剛という意外な組み合わせに惹かれて、家族と一緒に観劇しました。
 ドイツ、オーストリアにおけるナチスの勢力拡大の様子を、アメリカマフィアの物語に翻案するという物語です。そしてそのマフィア、アルトゥロ=ウイをスター草彅が演じるというとても尖った配役の舞台でした。
 物語自体はホロコースト以前の”成り上がり”に焦点が当たっているため、表面上の悪辣さは抑えられている印象ですが、それでも自由の蹂躙や激しい権力闘争の様子などは十分恐ろしいものでした。

 そして、より恐ろしかったのは客席の様子でした。
 SMAPは解散したとはいえ、草彅剛には固定ファンもたくさんいるようで、客席には「スター草彅」を観に来た層と演劇を観に来た層が共存していました。
 草彅/ウイは、楽団を従えて、これでもかとその客席を煽り、物語への賛同を求めます。それは「演じられているもの」とはいえ、ナチス的なるものへの賛同を強いるものでありました。そのせいか、個人的には素直に乗ることはできませんでしたが、周囲の観客の一部は楽しそうに歓声をあげており、そこに強いギャップを感じました。
 この差の原因となったものは一体なんなのでしょうか。ナチズムへの拒否感の強さの違い、演者を観ているか演技を観ているかといった違い、素直か天邪鬼かという違い、色々と考えるところはありますが、いまだに結論は出ていません。
 ただ、少なくとも自分と異なる考えを持ち、異なる行動をしている他者が間違いなく存在していることを知ることができました。
 そのように、普段は知り得ない他者の存在を実感することこそ、芸術鑑賞の一つの効用なのかもしれないなと感じました。