2024年1月 観劇記

はじめに

 2024年になり、一度過去の負債をリセットして直近のものから観劇の記録を残しておこうと思います。今年もお芝居や旅行、仕事と楽しく過ごせればいいなと思っています。

 

1/3 20歳の国『長い正月』@駒場アゴラ劇場

  新年から支援会員で観劇しました。とある一家の百年を演劇で描くという触れ込みで、マジックリアリズム的な作品を予想して行ったのですが、想像を上回る素晴らしい作品でした。

 構造それ自体としては、年越しの一場面を時系列順にシームレスに繋げるというシンプルなものなのですが、そのルールがわざとらしくなく、しかも分かりやすく提示されていることがまず印象的でした。 

 さらに舞台を奥深いものにしていたのは、「舞台の下手から退場することは死去を意味する」というルールでした。このおかげで、観客は家族の物語や時間の流れにつきものである死を常に意識させられます。そしてその環境で発される「あなたが死んだ時、私が最初に労ってあげる」というセリフは強く心に残りました。

 それ以外にも、無理なくカラオケを劇の中に導入するだけでなく、歌そのものに物語上の意味を与える技や、劇の内外で示される真面目なユーモアとホスピタリティにも楽しませてもらいました。  どこをとっても完璧に近い、ここ数年でもベストに近い作品でした。

 

1/12 namu『地獄は四角い』@OFF・OFFシアター

 タイトルが気になったことに加え、旗揚げ公演というのをあまり観たことがなかったので観劇しました。正直に言えば、作者の表現すべきテーマの乏しさに由来する空回りとそれにに対する開き直りを観させられる残念な時間でした。

 物語は「売れない俳優が閉じ込められて、演劇でサバイバルゲームをする」という、いかにもB級な場面から始まります。当初はこのままこの設定が続くならキツいと感じたので、程なくしてそれが劇中劇であることが明かされた時は安心しました。

 しかし、その後に繰り広げられたのは、いわゆる「小劇場あるある」で、しかも演劇それ自体ではなく「演劇人の苦悩的なもの」(例えば爛れた人間関係や、ノルマ、集客、台本ができないといった事象)にフォーカスが当たり続けるというより悲惨な光景でした。

 しかも物語は「SNSという外的要因で公演を中止し、最後には素の役者が自分のことを語って終わる」という破綻に至ります。

 観客は演劇には興味はあるが、演劇人には何の興味もない、というのは言い過ぎかもしれませんが、つまらない自意識の開陳にお金を払う義理はありません。このテーマでやるには東京夜光『BLACK OUT』なみの作り込みと自己洞察が必要だと思います。

 そもそも、「演劇に関する演劇」というのは自己言及的で空虚な内容になりがちであり、「演劇の機能」に関して何か主張があれば、別のテーマを語る中で示すことが本来的だと思うのです。*1

 先輩女優にもう一度公演をしないのか尋ねられて「やりません」と応える最後のシーンは、それでも「いまここで演劇をやっている事実との対比」を狙ったものでしょうが、このレベルであれば、やらないままの方が皆が幸せになる気がしました。

1/14 多摩美術大学演劇舞踏デザイン学科『音楽』@東京芸術劇場・シアターイース

  多摩美術大学の卒業公演は、『一億マイルの彼方から』がかなり面白かったので、毎年楽しみにしているのですが、今年は原作(しかも数年前に映像化されたもの)付きとのことでさらに興味深く観ました。

 基本的にはストーリーがシンプルな分、衣装や大道具、音楽など卒業生の皆さんの様々な成果を楽しむことができました。

 例年通りに気合の入った大道具をみていると、ストーリーは制作期間の長さがあまり面白さに影響しない一方、物理的な制作は制作期間+情熱がダイレクトに出るのが面白いなと思いました。

1/18 シニフィエ『ひとえに』@こまばアゴラ劇場

  支援会員で観劇しました。落ち着いた雰囲気で、思索に富んだ感は好みでしたが、実際は作者のTwitterタイムラインを可視化したような俗っぽい内容でやや期待外れな作品でした。

 最初に描かれるような「聞いてくれて/話してくれてありがとう」という「理想的な対話」が、何によって阻害されるか、というテーマを取り扱っているように感じました。 その発想自体は面白く、とても重要なテーマだとは思います。精神科業界でも『聞く技術・聞いてもらう技術』という本がベストセラーになるくらいですし、オープンダイアローグの広まりもあり、個人的にも他者がどのように考えているのか知ることができて有意義でした。

 

 しかし、物語としては、特定の政治思想やセクトの内部事情が批判的吟味なく頻繁に描かれる一方、政治家など外部の「阻害因子」の描き方があまりに陳腐というアンバランスざが気になって楽しめませんでした。

 さらに言えば、阻害される要因をほぼ外在化して描いている(例えば依存症自助グループのルール*2のように「内部」や「振る舞い」レベルにも対話の成否を左右する要因はあるはずです)というのも、自己批判の乏しさや他責的な要素を感じてしまいました。

 理想のレベルは高いのですが、期待していただけにいわゆる「演劇畑」との思考の方向性の違いを痛感した作品でした。

1/25 劇団あばば『paraiso』@スタジオあくとれ

 あるyoutubeの動画を観て、まだまだ知らない団体があることを痛感したので、その中で紹介されていた劇団を選んで観に行ってみようと思いました。全体としてはスタンダードな作品なのですが、徹底的にディテールにこだわった作品で楽しむことができました。

 おそらく、「居酒屋バイトあるある」の集合なのでしょうが、前述の『地獄は四角い』とは違い、個々の成長や喜び、挫折の物語がしっかり練られており、単なる羅列に留まっていないのは素敵でした。

 さらに感服したのは、今あえて「大震災」を遠景に置いた作品を作るというセンスです。おそらく、同じ展開を「コロナ」にしても成立するのでしょうが、生臭い要素を選ばずに、こちらにアナロジーを想起させるという形はとても印象的でした。単に当時の実体験をそのまま写しただけで、こちらの買いかぶりかもしれませんが、それでも楽しい時間でした。

1/26 柿喰う客『いまさらキスシーン』@こまばアゴラ劇場

 柿喰う客は一度『御披楽喜』を観て、勢いと派手な演出で押し切るというスタンスがジャンクフードのようであまり好みではなく敬遠していたのですが、無料で観られるとの事で再チャレンジしてみました。

 内容に関しては有名な作品で、youtubeに動画もあがっているので省略します。必然性がない暴力描写には驚きましたが、不思議と下品さを感じさせないのが技だなと思いました。

 別作品のアフタートークでも話題に挙がりましたが、語りを主とした一方的な構造は*3落語や群読、講談と言った話芸に近い気が印象を受けました。今回はシンプルな演出だったので、前作に観た暴力的なまでの印象はありませんでしたし、1人で舞台を回す俳優の力には素直に圧倒されました。

 ここでかできない体験だとは思いますが、やはり私が演劇に求めるものは彼らにはない気がしました。

 

1/26 柿喰う客『八百長デスマッチ』@こまばアゴラ劇場

 この作品は3作品のうち唯一の2人芝居という事でしたが、スタンダードな芝居とは大きく異なりシンクロナイズドスイミングを観るような体験で楽しむことができました。

 心身ともに極限状態に追い込まれる中でもユーモアや笑顔を忘れない俳優という生き物の強さを痛感しました。

 

1/26 コンプソンズ『海辺のベストアルバム‼』@小劇場B1

 前作『愛について語る時は静かにしてくれ』がかなり面白かったので、今回も期待して観劇しました。技術とテーマの融合もハイレベルで、個々のユーモアや俳優陣の熱演も十分楽しめるものでした。ただ、テーマが「正しすぎ」るうえに、やや説教臭さがある点には複雑な気持ちもありました。

 構造としては、「『殺人犯の再犯を防ぐ』物語の主導権を巡るメタフィクション的な争奪戦」+「そこに巻き込まれる本来『無関係』なトリオのコミットメント」を最終盤まで描き、最後にハマス/イスラエルの紛争を参照する事で、「『虐殺』を防ぐ主導権を『こちら』に取り戻せ」+「『本来無関係なお前ら』もコミットしろ」というメッセージを送るというものになっているように感じました。

 それと関連し、村上春樹の『かえるくん、東京を救う』を参照し、「デタッチメントからコミットメントへ」というスタンスを表明したり、『マトリックス』の赤いピルを引用し、「主導権を握らない事の愚者性」に言及したりと、パロディーが上手く使われていた印象を受けました。

ただ、最後に全てが「テーマに奉仕させられていた」という事がわかると、その隙のなさやメッセージの強さがかえって苦しくなってしまいました。

 感覚としては、楽しく話していたのに実は宗教勧誘だった、みたいな感じに近いでしょうか。 より具体的に言えば、個人的には、芸術には一定程度「正しさへの懐疑」から始まる冒険と、そこから得られる新たな発見が必要だと思っています。

 そのなかで、「正しい」ことが最初から決まっていて、そこにどう乗っかるか、という大喜利大会になった作品はあまり新しい発見がない、という一点のみで面白くなかったといわざるを得ません、同じ政治思想を持つ「同志」には堪らない作品になったのではないでしょうか。

 

1/28 柿喰う客『いきなりベッドシーン』@こまばアゴラ劇場

 こちらも柿喰う客の一人芝居で、基本的には同じ感想を抱きました。

 ただ、今回の作品は登場人物の独りよがりな思考、合理化や反動形成、躁的防衛といった内面の動きがあからさまに描かれていて、これが一方的な脚本/演出とマッチしていて不思議な魅力がありました。50分の長丁場を演じ切るのはかなりタフだと思いますが、疲れを何も感じさせないのはさすがの一言でした。

 

*1:前述の『長い正月』も、演劇の機能をこれでもかというほど主張していました

*2:「言いっぱなし・聞きっぱなし」や「ここで話した内容は外に持ち出さない」「批判は禁止」

*3:おそらくそこを毎回のアフタートークSNSなどでカバーするというスタンスなのでしょうが