2021年6月 観劇記

はじめに

 だいぶ間隔が空いてしまいましたが、6月分の観劇記録です。精神科医療を本格的に始めてから1年弱、観劇で培った言葉や動きに込められた意図や情動を捉える力、相手の文脈にスムースに乗っかり対話を行う力はかけがえのないものとなって自らを助けているような気がしています。

 

6/5 隣屋『オイディプス』@こまばアゴラ劇場

 劇場会員プログラムに入っていたため観劇しました。この演目は仕事においても基礎教養のようなものとなっているので、是非1度上演を観てみたいと思ったのも理由の一つです。

 今回は「為すことと選択すること。自由に回遊してお楽しみください。」というコンセプトを掲げて、回遊形式での上演となっていました。

 ただ、実際に演技をするのはオイディプス役の1人のみで、その他のシーンは、劇場内に設置されたプロジェクタやモニタで映し出される、という現代アートの展示に近い形になっていました。
 そのため、パフォーマンスまでの時間をどのように過ごしても結局オイディプス本人の物語にたどり着く、という体験になっていたように感じました。
 これを、「選択する能動性が制限されていて、コンセプトを表現しきれていない」と評するか、「選択しても、最終的に運命になされるがままになる、という物語の形式と一致している」と評するかは人それぞれだと感じました。

 ちなみに自分は、たとえ買い被りだとしても、全てが想定されていた後者の見方の方が面白いなと感じました。

 

6/6 隣屋 『コロノスのオイディプス』@こまばアゴラ劇場

 前作の続きということで観劇しました。基本的な上演形式は『オイディプス』と同じですが、オイディプス自身よりも、その周囲の人間の姿に焦点がこちらの作品の方が、より能動的に鑑賞の態度を選択し、集中できた気がしました。

 

6/6 イキウメ『外の道』@シアタートラム 

 前作『獣の柱』のチケットが取れず、いつか観てみたいと思っていた劇団だったため観劇しました。
 『引っかかっている、なにかが。気にしないで進む方が、かしこいにきまっている。だが、そのかしこさの先に何があるのか。小さな釣り針のような違和感で糸をたぐる。道を、外れる。』というコンセプトの通り、こちらの概念認知を揺さぶるような作品でした。

 おそらく描かれているのは、現象学におけるエポケーを強いられた2名の大人の姿だと感じました。
 そして、そのきっかけは、「無」と書かれた荷物を開ける、脳内に氷の塊を侵入させられた(ように感じる)、など無意味だが圧倒的で、侵入的な体験となっているようです。

 そのように描かれた現象は、職業柄どうしても統合失調症にみえてしまうというのが正直なところです。
 
 精神病理学者のブランケンブルグは統合失調症の基底症状を『自明性の喪失』であると述べています。症例アンネの「世界に根を下ろすことができていない」、「生活世界が疑わしくなっている」とも言える症状の徹底的な考察を経て、彼が辿り着いた結論を、日本の精神病理学者の松本卓也は「アンネはエポケーを生きざるを得ない。この生きられたエポケーこそが統合失調症の基底症状である」と述べています。

 そして、そのきっかけとなるのが、要素現象と呼ばれる体験であると松本は主張しています。その要素現象は、ヤスパースによると、


・先立つ心的体験から導出されない
・意味のわからない体験としてあらわれる
・患者にとって直接無媒介に体験される
・圧倒的な力を帯びた異質な体験としてあらわれる
・のちの症状進展の基礎となる


ことを特徴とする現象と述べられています。

 つまり、そのような現象ののちに、撤回不可能なエポケーが出現し、独自の世界を生きる(「道を外れる」)状態を我々は統合失調症と呼んでいるのです。

 

 脚本家が哲学の素養がある、という事実を知らなければ当事者が書いたとしか思えない解像度で病理が描かれていて、勉強になるなぁと思いつつも、正直背筋が凍る思いをしました。

 

6/12 ゼロコ『silent scenes』@こまばアゴラ劇場

 支援会員制度で鑑賞しました。物語が比較的薄いコントに近い内容を、基本的には無声で上演するという取り組みでした。
 声が介在しないからこそ、身体の動きという形で表現される人間の意思や意図、静寂を壊す無機質な騒音の面白さが際立っていて、とても楽しく観ることができました。
 また、どの短編も違った味わいがあり、観客を飽きさせることがほとんどなかったのには驚きました。
 こういった典型的な演劇以外の演目も気軽に観られるのが支援会員制度のメリットの一つだなぁと実感しました。


6/19 KAATプロデュース『虹む街』@神奈川芸術劇場・大スタジオ

 同じ業界の大先輩でもあり、ずっと気になっていた作家の作品だったため観劇しました。
 まず印象的だったのが、その舞台装置でした。横浜にある多様な街を凝縮したようなセットは影のある華やさを放っていて、とても魅力的に感じました。
 そして、その舞台上で動くのも、モデルとなった街で生活している人々が選ばれており、相乗効果もあってそのリアリティは抜群でした。
 ただ、この作品がさらに素晴らしいのは、ただ生活を模写するだけでなく、そこにどんな人間の心の動きがあるのか、どんな場面で染み出すのかに極めて自覚的に描かれていたことでした。これを作為という向きもあるでしょう。しかし、我々が定点カメラの映像ではなく芝居を観に行くのは、作家や演者によって再構成された世界の姿を目撃するためではないかと感じていて、そんな欲望をこれでもかというほど満たせる舞台でした。
 随筆調の上演台本(?)も独特で、家に帰った後まで楽しめる、長旅をした後のような感覚を味わえる独特の舞台でした。

 ちなみに、谷野先生は北陸にある精神科の大病院の御曹司のようで、血は争えないが、濃すぎると道を違えてしまうのだなと感じました。

 

6/25 このしたやみ『猫を探す』@こまばアゴラ劇場

 支援会員制度で観劇しました。
 オープンな物語を会話劇とも朗読劇とも言えないスタイルで上演する、観客の能動性を刺激するような舞台でした。俳優の動きや台詞回しも、「あからさまに面白くしようとしてはいないがおかしみがある」という絶妙なラインで楽しむことができました。
 5月に観劇した『蝶のやうな私の郷愁』と似た雰囲気ではありますが、個人的にはこちらの方が好みでした。