2021年7月 観劇記

はじめに

 仕事が忙しいわけではないのですが、まとまった文章を書く時間がとれずどんどん先送りをしてしまい、今更7月分の記録になります。

 今年は2019,2020年の2年間にみた観劇本数とほぼ同じ本数を観ることができました。その中で、お気に入りの劇団や作家、役者を見つけることができたり、自分がどんな作品が苦手か、ということも知ることができたのは貴重な体験だったなと思います。

 

 来年も無理はせず、楽しく演劇を観られればいいなと思っています。

 

7/4 『シン・エヴァンゲリオン

精神科医としての基礎教養だよ」と言われ、ステイホーム期間に序・破・Qの三部作を動画配信サービスで観たこともあって鑑賞しました。

 

 超人気作であり今更自分が新しい感想を述べる必要もないと思いますが、全体の見立てだけ備忘録として残しておきます。

 

 まず感じたのは、作家本人にとって、この作品の本懐は「人類補完計画」「使徒」といったSF的なストーリーを大風呂敷を広げて描くことにはないのだろうな、ということでした。もちろん細かい作り込みやストーリーテリングの上手さは賞賛に値しますし、この大仰な雰囲気や派手なアクションに魅力を感じる人も多かったと思います。

 しかし、『シン・ゴジラ』の丁寧な物語展開に比べると、この作品はそのSF的なストーリーを観客を伝えることを目的としていない*1ような気がしました。そして、その物語は、作家個人の現実的な葛藤を解決するためのプロセスであるこの作品に人を惹きつけるフックでしかないのだろうなと感じました。

 

 この作品にあって『シン・ゴジラ』にないものは、「マイナス宇宙」と称された虚構と現実(ロボットでの肉体的対決=劇中での現実/現実での虚構のレベルと言葉での対話・対決=現実のレベルが並行して描かれます)が曖昧になった世界です。そこでは、「決着をつける手段は力ではない」と宣言された後、父との直接の対話によって葛藤の解決がされると同時に物語中での問題(=「アディショナル・インパクト」の阻止)がなされ、その後の実写で描かれる現実世界(作家の地元)への脱出につながります。

 

 物語の表象的な解決を放棄し、どんどんと思弁的な方向に進む終盤は痛快で楽しめましたが、物語それ自体の結末を楽しみにしていた人にとってはあまりに酷なのではないかとも感じました。長年のファンの意見もぜひ聞いてみたいと思いました。

 

7/10 Kawai Project 『ウィルを待ちながら~インターナショナル・バージョン~』 こまばアゴラ劇場

 支援会員制度で観劇しました。シェイクスピア研究の第一人者・河合祥一郎のソロプロジェクトとのことでした。

 

 シェイクスピアの名台詞を引用しながら、2人の名優が思い出話をするというあらすじの舞台で、明確なフィクションというよりも随筆調の演劇という不思議な感覚でした。

 寡聞にして、出演者のお名前は今回初めて知ったため、周囲の観客ほど思い入れを感じられていなかっただろうなと思いましたが、「こんな高齢の方が若い時から同じ脚本が同じように演じられ、魅力的と思われてきた」という歴史の重みは痛いほど伝わってきました。

 

 もちろん、ノスタルジーシェイクスピア礼賛だけで終わるはずもなく、演劇とは何か、演じるとは何か、役者とは何者かという深いテーマについても触れられていましたが、そんなことを気にせずとも楽しめる素敵な舞台でした。

 

7/17 『反応工程』@新国立劇場・小劇場

 イデオロギーに染まり切らない、上質な「社会派」演劇を観たいと思っていたので観劇しました。

 

 第二次世界大戦末期の軍需工場を舞台とした若者の群像劇で、コロナ禍だからこそ「個人と国家/社会」の対立というテーマがより浮かび上がっているように感じました。もしかしたらシリーズ「ことぜん」の年に企画された、という影響もあるかもしれません。

 

 やや説教臭かったり、今の時代としては不自然なまでの労働組合礼賛があったりと、古さを感じる場面もありましたが、戯曲に封じ込められた当時の雰囲気を感じることも、過去の戯曲を今上演することの楽しさなのかもしれないなと思いました。

 

7/22 「もしもし、こちら弱いい派 ─かそけき声を聴くために─」

 話題の若手劇団のショーケース企画とのことで観劇しました。「弱いい派」という括りは賛否ありますが、個人的には「弱いけど何とか(能動的に/楽しく)生きていく派」と言えばいいのかなぁなんて感じています。

いいへんじ『薬をもらいにいく薬(序章)

 「答えを出すことよりも、わたしとあなたの間にある応えを大切に、ともに考える「機会」としての演劇作品の上演を目指しています。」というプロフィールが以前から気になっていた団体の作品で楽しみにしていました。

 

 タイトルから、メンタルヘルスに関連するテーマかなと思っていましたが、予想通り社交不安障害もしくは全般性不安障害の当事者と思しき人物が主人公で、その描写は露悪的になることなくしっかりとした人間的な目線で描かれていて好印象でした。

 

 この舞台では、その主人公が、薬がなく不安に囚われて外に出られなくなっていたところを、知人の助けを借りて恋人を空港に迎えに行く、という決意をする*2までの過程が描かれます。

 

 精神科医療では、周囲の支援者や時間の経過がもたらす回復を「人薬」「時薬」と呼ぶことがありますが、まさにここで描かれているのも「薬をもらいに行くための人薬」なのだろうなと思いました。全体としては、穏当で曖昧さが保たれていて、メンタルヘルスを題材にした物語の中ではかなりよく考えられた作品のように感じました。

 唯一の残念な点をあげるとすれば、おそらく「対話」の実践が意図された、行動療法的なシーンがセラピスト役の男性による一方的な「アドバイス・指導」になってしまっていて、「対話」の双方向性・共同性が見られなかったことかもしれません。もちろんテンポや作劇の都合上仕方ないことだとは思います。

 精神療法の中で「アドバイス・指導」の形で答えを与えると、一見良くなるように思えて、セラピスト側も「うまく治療できた感」で満足できるのですが、内実はなにも変わっていないことが多いのが現実の難しいところでしょう。

 答えを渡さず、その人の答えを見つけてもらうまでを援助し続ける、というのが対人援助の難しさの一つなのかもしれません。

 

ウンゲツィーファ『Uber Boyz』 

 ウンゲツィーファはもちろん、スペースノットブランク、ゆうめい、ヌトミックとアーティスティックな上演を指向する団体に所属する方々が共同脚本や音楽を務めるという豪華な企画でしたが、もちろん一筋縄ではいきませんでした。
 
 船頭多くして船山にのぼるより前にに沈没する、といったサブカルパロディのごった煮のような舞台で一見すればふざけているだけのように思えたかもしれません。

 ただ、これは必死に自らの叫びや苦しみを真面目に描いても「こちらが聴いてあげる」「かそけき声」として切り捨てられてしまうこの企画へのせめてもの反抗のように思えました。他者を「弱者」として扱うフレームワークの暴力性を指摘する、批評性の高い舞台のように感じた…、というのは穿った見方ではないように思います。
 彼らがプレイハウスの舞台に立つまでに「強く」なることを願わずにはいられない舞台でした。

 

コトリ会議『おみかんの明かり』

 宇宙警察など不可思議な要素はあるものの、喪失を受け入れられない人(と宇宙人)の性がやわからかなタッチで描かれていて安心して観ることができました。
 彼岸と此岸のみせかたが綺麗で、それゆえに両者の交わりが劇的なもののように思えました。

 

7/24 東京夜光『奇跡を待つ人々』@こまばアゴラ劇場

 前作『BLACK OUT』が印象的だったため観劇しました。今回はうって変わって、AI、コールドスリープバーチャルリアリティなどのSF的なガジェットをふんだんに盛り込んだ派手な内容で楽しく観ることができました。きっと観客一人一人が、好きな作品を思い出しながら観ていたのではないかと思いました*3
 1つ1つの要素は他の作品で馴染みがあるものですが、それを組み合わせて全く新しい物語を生み出すことに成功しているように感じました。

 また、同じく川名さんが演出を務めた『いとしの儚』同様、こういった非現実的な内容を、観客を興醒めさせることなく描ききる演出は見事でした。

 次回作はもう本多劇場進出とのことで、とんとん拍子で人気を集めるのも納得の劇団だと思います。

 

7/31 劇団普通『病室』@三鷹市芸術文化センター・星のホール

 評判が非常に良い舞台であったため観劇しました。茨城の急性期病院の一室を舞台とする群像劇なのですが、医療職からみても自然な形で現場の姿を描くのは見事だと思いました。
 ただ、それだけと言えばそれだけで、演劇としては軸や焦点がはっきりせず、集中して観る事が出来ませんでした。
 さらに言えば、この舞台が上演される意義、動機はいったい何で、我々はそこから何を得て帰ればいいのかが正直全くわかりませんでした。作者のフィルターを通さない、ありのままの世界を見たいのなら、数千円払って演劇を観にいかずとも、目の前の世界を眺めたり、カフェでお茶をしながら周りの話を盗み聞きするだけでいいはずです。

 少なくとも自分は、作者のフィルターや頭脳を通して再構築された世界や物語を観に舞台に通っているので、趣向が全く合わない舞台でした。

 職業柄新鮮さも感じられず、粗だけが目立ってしまった事も、期待外れに感じた一因かもしれません。今年のMITAKA “NEXT” selectionは両方とも「次はない」と感じてしまう舞台で、少し残念でした。

*1:特に『Q』はその傾向が強いでしょう

*2:実際の過程は(序章)の後に描かれるのでしょう

*3:個人的にはビデオゲーム『十三機兵防衛圏』を思い出しながら観ていました