2020年11月 観劇記

はじめに

 11月も引き続き内科でした。新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからない状況ですが、11月も予定していた通りの作品を見ることができました。個人的には、感染症拡大に関して確実にアウト(大人数での会食など)の行為はあれど、確実にセーフな行為がない以上、確実なアウトを避けて普通に生活していくしかないのかな、と思います。

 

11/3 『人類史』@神奈川芸術劇場

 作演出を務める谷賢一の『アンチフィクション』が素晴らしく、この人が書いた「普通」の作品を観てみたいと思ったため観劇しました。

 少し前に話題になった『サピエンス全史』を叩き台として、人類史を2時間半で語り切るという壮大な試みの舞台です。大風呂敷をどう畳むのだろうと思っていたのですが、その試みは焦点を「人類を人類たらしめる要素」にあてることで成功していたと感じました。

 作品は大きく3パートに分かれます。最初は哺乳類/類人猿から、ホモ・サピエンスが分化する原始時代が描かれます。二足歩行→発声の変化→言語の獲得→概念の誕生、といった各ステップが描かれますが、このパートでは非言語的(言語獲得前なので当然といえば当然ですが)な身体表現が印象的でした。言語以前のコミニュケーションが上手く表現されていましたし、劇団四季の『ライオンキング』のような動物の表現も面白く見ることができました。ただ、上記のステップが、合目的な行動の結果、「達成されたもの」と描かれているのはラマルクの要不要説的で、少し違和感を感じました。ただ、科学的には「正しい」自然選択/中立説的描き方をしようとすると演劇としては成立しづらいと思うので、しょうがないかなとも思いました。

 

 2つ目のパートは、農耕が始まり、身分の差が生じた古代の風景が描かれます。

 『サピエンス全史』では、人間は虚構を信じる唯一の動物であるが故に覇権を握ったと主張されています。ここで指し示される虚構は幅広く、言語により文節された概念という虚構、国家という虚構、権力という虚構、宗教という虚構などさまざまです。前のパートでは、それらを共有するメリットが楽観的に描かれましたが、このパートでは虚構が人々を抑圧する光景が描かれます。

 宗教を背景とした王政に対し、男は“なぜ王は偉いのか”、”戦争をするのは誰のためなのか”など素朴な疑問を次々と投げかけていきます。当初は徴税に対する役人への不満から始まり、一度は処刑されかけます。通りかかった王女の手助けで一命を取り留め、王宮へ招かれますが、王の目の前でも同様の発言を繰り返し、最終的に舌を抜かれるという刑に処されます。

 男は国家という虚構も王権という虚構も理解・共有することができていません。虚構は同じ虚構内にいる存在は理論を持って裁くことができますが、虚構の外にいる人間に対しては無力です。それゆえ、虚構側のシステムにとっては合理的な理由なく排除しなければならない*1存在なのかもしれません。


 そして3つ目のパートは中世、つまり宗教という虚構と好奇心や向学心、知識といった個人の思想が拮抗する時代が描かれます。

 その中でも主題になるのは、ガリレオ・ガリレイやその周囲の人々です。ガリレオのエピソードは我々がよく知っているものです。しかし、これまでのパートで虚構の力強さを見せつけられている観客にはよりその偉大さが伝わるのではないかと感じました。

 また、敬虔な信者で保守的な両親の反対を押し切り、好奇心に従い望遠鏡を覗く子の姿はこの芝居のハイライトにふさわしいものだったと感じました。


 2時間半の長尺でしたが、ストーリーテリングの上手さも相まってあっという間に過ぎた印象でした。コロナの状況下で描かれるであろう新作もとても楽しみです。

 


11/10 小松台東『シャンドレ』@こまばアゴラ劇場

 宮崎の劇団、という物珍しさに惹かれて観劇しました。東京の人からするとコマツ/タイトウと読んでしまいそうですが、読みはコマツダイ/ヒガシだそうです。

 宮崎のスナック、シャンドレを軸にして男と酒、男と女、そして男と男を描く舞台ですが、その根底に流れるのは男の孤独だと感じました。

 ある男は孤独ゆえに酒に溺れ、ある男は孤独ゆえにスナックのママと恋に落ちていきます。そんな風に、居場所を求めてシャンドレに夜な夜な通っている男たちの姿と、最近所帯持ちとなった男、つまり家庭という居場所を見つけてシャンドレが必要なくなった男が対比されて描かれます。

 舞台は所帯持ちの男が「面倒臭い」といったことに逆上した酒浸りの男がナイフで相手を刺してしまう、というバイオレンスな展開で幕を閉じます。最初に観た時は、ただ詰られたことに男がキレて刺したように思え、刃傷沙汰に至る必然性があまりないように思いました。ただ、男の一撃は孤独や後悔、嫉妬などが積み重なった末の一撃であったのだろうと思います。

 スナックという場所自体馴染みがなかったので、そのシステムも含めて面白く観ることができました。若手が多い小劇場シーンにて、中年男性を描く劇団はなかなか新鮮に感じられたので、ぜひ次も観てみたいと思いました。

 


11/14 堀企画『水の駅』@アトリエ春風舎

 青年団の若手が過去の名作を上演するという似た企画だった『マッチ売りの少女』が素晴らしかったため観劇しました。このような企画は、演劇を体系的に履修していない自分にとってはとても勉強になると感じています。


 今回は太田省吾の無言劇の名作『水の駅』とのことでしたが、人間の身体に対するこちらの解像力が低いこともあって、「面白い」と感情を動かされる場面はあまり多くありませんでしたし、この作品が上演される意義や意図に関しても分からずじまいでした(もしかしたらそんなものないのかもしれませんが)。ただ、天井から床に落ちる水の美しさ、水音の逆説的な静謐さ、水と人の交歓の姿など、いくつかの光景は強く印象に残っています。

 

 演劇という仕組み上、何らかの出来事を描くことになり、それはいくら無言で上演されようとも観る側は「〜が起こっている」という言語に還元しようと思えばできてしまいます。個人的には、目の前の造形それ自体に注目する、という「肉体派な」楽しみの前に、情報を言語に還元して意味を考えるという思考がほぼ自動的に走ってしまっているんだなぁとつくづく自覚しました。今後もダンス公演やこういった作品を観て、認知のモードを切り替えられるようになっていきたいと思いました。


 ちなみに「言語派」としては、この作品がどう再現性を確保しているのかについて強い興味が湧きました。台本として各々の動きや感情が一度言語化されているのか、それともビデオか何かで記録されているのか、どちらにしても面白いと思います。


11/17 新宿梁山泊『唐版・犬狼都市』@下北沢線路街特設紫テント

 一度野外演劇を観てみたいと思っていたため観劇しました。

 澁澤龍彦の短編小説を下敷きにした作品で(といっても、犬狼貴族の魂を結晶に詰めるというコアの部分のみ共通しているがほとんどオリジナル作品です)、大田区の地下に広がる犬田区を舞台をした冒険が描かれます。過去の唐十郎作品*2の演劇論・身体論的な思索の跡は窺えず、派手でアングラな演出とスピーディなやりとりをサーカスの様に楽しむ作品なのかな、と感じました。


11/19 小田尚稔の演劇『罪と愛』@こまばアゴラ劇場

 以前から気になっていたユニットの作品ということで観劇しました。

 フライヤーや過去作品からは、哲学/文学の影響が強く窺われますし、今回の作品もドストエフスキーの引用から物語は始まります。ただ、小難しい形而上の話に留めるのではなく、それらのテーマと我々の日々の生活や体験とを、演劇の説得力と切実さによって接続するというとても面白い演劇でした。


 本作は、どん底の貧乏という罪*3と、「周囲に愛情を持って接することが出来るのか」というテーマが接続されて描かれます。


 舞台は何人もの男(と少数の女)の独白を軸として進んでいきます。何かを執筆しながら困窮に喘ぐ男と困窮している上に借金をしてギャンブルにのめり込み、大家に逆上して刺殺に至る男2人が「罪」サイド、孤独と疎外のままにお台場の自由の女神を燃やそうとする男、そして彼女を裏切ったと懺悔する男2人が「愛」サイドとすることができるかもしれません。

 もちろん主役は「執筆する男」です。そして、残りの男たちは主役が金銭/愛の不足の中で部屋を這い回る蜘蛛、ネズミを眺めながら想像した話や、自らがその境遇に陥ってしまうかもしれないと想像した話なのだと私は解釈しました。

 扱う内容、描き方は基本的に暗いテンションながらも、露悪的なほどにライトな言葉選びや飛び道具的な音響、スモークやプロジェクタを使った派手な演出などで彩りを添えており、切実ながらも楽しく観ることができました。

 また、滔々と語られるモノローグの醸し出す薄寒い孤独感は、作品の内容と合っているだけでなく、個人的に好みのテイストでした。青年団リンク キュイの『景観の邪魔』も同系統の作品で良い印象だったので、今後もこういった作品を見ていきたいと思いました。


 そして、テーマである「周囲に愛情を〜」というテーマにも「愛を求めるのは何かに成功できないための代償行為」といった趣旨の一文が引用され幕がおります。穿った見方をするなら「男が蜘蛛の動きにすら愛を見出すほど餓えているのは、男が演劇で成功できていないことの代償行為にしかすぎず、本当に愛情なんてものは男にはない」となるのかもしれません。ただ、こんな安易で単純な内容だけには終始せず、荒涼とした東京の光景、孤独に差し込む光の暖かさなど、さまざまな心象・光景が焼きつく舞台でした。


 実家の近くの玩具屋さん(小学校の時ベイブレード欲しさに通ったことを覚えています)の上のスペースで上演などもしているようで、そういった小規模な公演も是非観てみたいと思いました。

*1:『こいつの言葉は毒だ』

*2:『少女都市から呼び声』、『少女仮面』

*3:「貧は罪ならず、これは真理ですよ。〔略〕しかし、貧乏もどん底になると、いいですか、このどん底というやつは――罪悪ですよ。」ドストエフスキー罪と罰』(工藤精一郎訳、新潮文庫、1987年、22頁)