2020年3月 観劇記

 

はじめに


 研修も1年がすぎ、ついに後輩ができる時期になってしまいました。
 3月は消化器内科で忙しい日々を過ごしていました。自分ではあまり進歩していないと思った1年でも、できないことができるようになり、出来ることはより簡単に出来るようになっていると実感できたのは有意義な1ヶ月でした。
 3月はコロナウイルスの影響で観劇予定の作品が何本*1も中止になりましたが、それでもそれなりに作品を観ることができました。
 観劇は不急かもしれませんが、不要な活動ではない、と小さな声でここに主張しておきます。

3/4 ゆうめい『弟兄』@こまばアゴラ劇場

 前作『姿』が素晴らしかったため、「ゆうめいの座標軸」と称して代表作3作を再演する試み全作品を予約していた。

 この劇団は「作・演出の池田亮の実体験を元にした作品」という触れ込みで、かなり現実に近しい作品を、技巧が尽くされた舞台芸術とともに上演するのが特徴的。しかし、池田亮として登場する人物が「池田亮役」の別の役者であることから分かるように、その全てが真実ではなく、真偽がごちゃ混ぜになった不思議な観劇体験ができると感じている。

 前作『姿』は「両親が離婚するので両親の話をします」という内容で、実父・実母を出演させるというかなり派手な演出が印象的な作品だ。しかし、それだけではなく、両親への愛憎入り混じった感情や、離婚してしまうやるせなさが笑いや明るさ*2の裏に滲み出ていて非常に好印象だった。

 『弟兄』は『姿』にも登場していた「弟」、そして2人を繋ぐ「いじめ被害」というテーマにフォーカスが当たり、池田亮の中学〜大学時代が描かれる。

 前半は池田のいじめ被害、そしてその環境下で生き延びていくための池田の空想*3がポップなタッチで描かれる。

 しかし、そのいじめは池田が長距離走で学内1位になったことで唐突な終わりを迎える。

 中盤はその後に高校に進学した先で出会った「弟」との交歓が描かれる。「兄」池田と「弟」はいじめから自由になった環境で、初めて信頼できる他者と出会い、コンビニでたむろしたり、川べりではしゃいだりなど、たわいもないが幸せな時間を過ごす。

 しかし、卒業式の出し物で弟と兄が『悲愴感』という曲を披露させられたことをきっかけにその蜜月は終わってしまう。兄が「あんなものただ人前で踊るだけじゃん」と捉え、前向きに物事に取り組めたのに対し、弟はいじめ(他者に自尊心を侵害された)体験がフラッシュバックしてしまい、うまく踊れない。さらにその後、「これ以上のことがあるなんて、無理だろそんなの…」と将来を悲観するまでに至ってしまう。

 そんな弟の感情を兄は理解できず、励まそうとして「あんだけでそんなに考える?」「え、俺はそんなに辛くないけど」という言葉をかけてしまう。

 両者はこのすれ違いをきっかけにほとんど連絡を取らなくなってしまうが、弟は池田が教えたアニメーションなどの娯楽に没頭し、問題を先送りしてしまう。

 終盤では、大学に進学したり、異性とパートナーシップを結んだりと、社会的にある程度立ち直ったに見える池田が、過去のいじめ体験に囚われる姿、そして、同様にトラウマによって大学に通えなくなった「弟」が最終的に自死したというエピソードが描かれる。

 そしてクライマックスでは、「現在」におけるいじめた側(前回までは伊藤華石という名が明かされていたそうだ)と池田の対話が描かれる。しかし、例によっていじめた側は大したことと捉えておらず、池田は「弟」のエピソードもあり、激昂し伊藤を詰る。その声も届かず伊藤は「もっと深い話したかったんだけどな」と立ち去ってしまう。

 しかし、芝居はここで終わらない。「弟」が好きだった東京事変の『女の子は誰でも』をバックに、最後の数分でいじめに対する空想の憂さ晴らしと同様、「こうであって欲しかった」風景が描かれる。それは伊藤へ直接反撃することであり、「生まれ故郷の春日部と伊藤が最低であるという告発」によって間接的に反撃すること*4であった。

 祝祭的なBGMと逝ってしまった「弟」や自分の過去などに対するやるせなさが対照的で印象的なラストシーンだった。


3/12 ゆうめい『俺』@こまばアゴラ劇場

 時系列としては『弟兄』の大学生以降にあたる作品。今作品は「俺」の一人芝居であるが、「『斎藤さん』という匿名通話アプリでこういう話を聞いたのでそれを再現する」という設定で上演された。そのため、スマートフォンで常に自撮りをしながら演技し、かつその映像が舞台上のスクリーンにリアルタイムで投影されるというなかなかテクニカルな作品。

 物語は「俺がアニメ『ストライクウィッチーズ』の二次創作で好き勝手やっていたら警察に呼び出された」という奇抜なシーンから始まるが、全体のテーマは「物語は誰のものか」、「切実な当事者性・事情のない物語*5への怒り」と明確になっている。

 しかし、そういった真面目な見方だけではなく、派手にうごく舞台美術を眺めたり、スクリーンの画面のみを観て劇中で「俺」がしたものと同じ体験をするなど、様々な楽しみ方ができて非常に興味深かった。

 昨今の状況や、スマートフォンで配信できるという特性を生かし、現在リモート公開稽古と称してほぼフル尺の作品を観ることができる*6スマートフォン/オンラインで観劇されることに最適化された演劇という特徴もあり、劇場で観るものと遜色ない観劇体験ができるはず。投稿日(4/12)16時から「本番」とのことなので、時間を持て余している方はぜひ。


3/16 ゆうめい『弟兄』@こまばアゴラ劇場

 『光の祭典』を一緒に観にいった友人と再び観劇。

 こちらはあまりお気に召さなかったよう。確かに、内容のダイナミズムという点では大したことない*7ため、やや形式や現前性を楽しむ要素が強いのが一つの要因かもなと感じた。


3/17 スペースノットブランク『ウェア』@新宿眼科画廊

ドラマとカオスを縦横するスペースノットブランク。CHAOTICなコレクティブによるDRAMATICなアドベンチャー。ダウンロードとアップロード。HIGH & LOW。物語とキャラクターと本人と別人が脱ぎ着する、母音だけでコミュニケーションできる「場所」。実存しない物語とキャラクターを、実存する本人が「上演」というシチュエーションを用いて実存する別人の目覚ましを鳴らそうとするための舞台。

  とのコンセプトの通り、かなり抽象的で前衛的な作品。

 ストーリーもかなり解体されている上、役者と登場人物が結びついていないため、筋書きを追うので精一杯だった。元々ダンスユニットということもあるのか、脚本はあくまで発話を含めた身体活動の題材と捉えているのだろうか。評論家による前説がないと全く理解できなかっただろう。

 不思議な作風なので、気になる方は期間限定公開されている別の作品の公演映像

(30分程度だ)を眺めてみると新しい体験ができるかもしれない。

*1:映画美学校『シティキラー』、True colors dialogue『All sex I've ever had』, ゆうめい 『あか』, PARCOプロデュース『ピサロ

*2:離婚が決定的になるシーンで、実父がモーニング娘。ハッピーサマーウエディング』を踊るなど

*3:桜庭一樹風に言えば「砂糖菓子の弾丸」

*4:こちらは作品を上演することで達成されている、というのがこの作品最大のギミックだろう

*5:ゆうめい は極めて当事者性の高い物語を上演している

*6:

田中祐希: "6回目の稽古配信です。よろしくお願いします。"

*7:実話の範疇を超えられていない