2020年1月 観劇記

 

はじめに

 1月は引き続き麻酔科でした。仕事に慣れてくると少し楽しいものだと感じられたのは意外でした。

 今年もできる範囲で多くの作品を観ていきたいと思います。

 

1/10 ゴジゲン『ポポリンピック』@こまばアゴラ劇場

 オリンピックイヤーの幕開けにふさわしい作品と言うことで観劇。

 オリンピック競技に「選ばれなかった」ボーリングの天才ポポを主人公に据える発想が見事。そこからの展開はオリンピック競技に「選ばれた」スポーツクライミングの選手や、「自分は社会から選ばれない*1」と考えている人々を巻き込み、普段は我々があまり意識しない「選ぶ/選ばれる」ことの権力性や不条理さが描かれる。また、我々がテレビやニュースで見聞きすることになるであろうオリンピックのニュースの裏に、代表に選ばれなかった者、やっている競技が選ばれなかった者、そもそも環境に恵まれなかった者など、様々な人間が存在するという、当たり前すぎるが故に普段は意識しない事実を丁寧に提示している。

 

 また、当初は「非オリンピック」であったポポリンピック関係者が、存在の認知/承認や社会からの批判に晒されることによって旧ゲリラ左翼的な「反オリンピック」の組織に変容してしまう姿も批判的な視線で描かれていて好感が持てた。もちろん、この「非だったものが反になる」という現象はありふれている。その原因は「非が集まった結果の集団」という多様な事実を認知できず、シンプルな二項対立に落とし込んでしまう大衆側にも、自分たちに名前/意味をつけてもらえる誘惑に抗えない集団側にもあるのかもしれないなと感じた。

 

 この数年でインターネット・SNSが普及して、私たちの見える世界は格段に広くなった。しかしその事で、私たちは常に誰かに負けていて、誰かからは選ばれず、誰かよりは弱く、誰かより下であるという当たり前の事実をこれまでになく意識させられている。

 そんな事実とその原因になる他者を恨まず、自己選抜に逃げないように、「敗者/選ばれないもの/弱者/下のもの」を描く重要性は高まっているのだと感じた。

 

1/11 多摩美術大学演劇舞踏デザイン学科研究室『黄昏ゆ〜れいランド』@東京芸術劇場

 これまでの経験から、「エンタメ系(『HERO 2019夏』, 『夕 -ゆう-』)」などよりややアーティスティックな作品(『終わりにする、一人と一人が丘』、『姿』)の方が楽しめると感じたので、一度芸術に振り切った作品を観たいと思い観劇。

 大学の卒業公演といえど、公共の劇場での公演、ぴあでチケットが買えるなど部外者でも入りやすい雰囲気だった。

 

 作品では死後の世界における幽霊達のやりとりが描かれる。脚本の内容は正直あまり面白いとは思えなかったが、「演劇舞踏」の名の通り、ダンスパフォーママンス/肉体性の面白さは十分伝わってきた。ダンスや動き、同じシーンを何度も再現すること、別の役者が同じシーンを引き継ぐなどの外連味のある演出ももちろん印象的だったが、舞台を通して同じ場所で同じ動きをしている機織り職人を徐々に意識しなくなっていくなど、彼らが作る場所でしかできない鑑賞体験ができたと感じた。

 

1/26 『少女仮面』@シアタートラム

 唐十郎の代表作で第15回岸田國士戯曲賞受賞作。新進気鋭の演出家、杉原邦生の演出ということで格好の機会だと思い観劇。

 

 まずは50年前の作品とは思えないほどに脚本が素晴らしかった。

 宝塚スターを目指す少女・貝が、元宝塚スター、春日野八千代の経営する地下喫茶『肉体』を訪れる。八千代は宝塚スターとして数多の観客に観られ、渇望され続けた結果、「肉体を奪われた」と感じている。もちろん、彼女は死んだわけでも幽霊になった訳でもない。他者に見られることを意識し続けた結果、身体の所有感を失った彼女が、それでも肉体を取り戻そうとする狂気的な過程の先にあった「私は何者でも無いんだ」というセリフが重く残った。

 この作品を観て調べた後知恵だが、唐の演劇哲学の中に、「特権的肉体論」というものがあるらしい。それは実存主義的な「いま、ここ」にあるが故に多様な肉体を「特権的」と称し、そこから発せられる言葉を最重要視するもので、「誰か」の理想像(宝塚風に言えば「清く、正しく、美しい」)に近づくように訓練された肉体を最上のものとする演劇観の対極に位置するものであった。

 それを踏まえると、「清く、正しく、美しい」肉体を持つはずの八千代が肉体の不在に苦しみ、最終的に自分は何者でも無い(=「いまここ」しかない)と悟る脚本は作者の強い意見表明だったのかな、と思った。

 そしてその「肉体の不在・肉体への否定/恐怖」というテーマは以前観劇した『少女都市からの呼び声』に連なっているのだなとも感じて膝を叩く思いだった。

 

 

 また、演出もアングラ演劇風に大掛かりだが、現代風のアレンジによって「古臭さ」が今から見た「レトロな雰囲気」に昇華されているのは見事。上演に際しての演出家の企み*2は極めて周到に達成されたと感じた。

 

1/26 松永天馬『2020年の生欲』@渋谷WWWX

 アルバム『生欲』がとても良かったため実演されるところも観たいと思ったため参加。

 

 基本的にはアルバムの曲をなぞる形+αで行われ、熱量も十分で楽しめた。これまでのバンド活動で溜まっていた鬱屈とした表現欲の爆発を目の当たりにできたのは良かった。

 撮影/演出の都合だろうか、大団円的な『ナルシスト』でやや上向きのカメラの方ばかり見ていたのは少し残念。真っ直ぐ前だけをみていて欲しかった。

 

1/31 アーバンギャルド『TOKYO POP』ツアー@恵比寿CreAto

 『生欲』のようにソロ活動という表現したいことを自由に表現できる場を得た今、既存の枠組みの中で彼らがどんなものを見せてくれるのか気になり参加。

 

 満員だったこともあり、テクノポップセットと聞いた時の不安を払拭するような盛り上がりだった。アルバムのリードトラック『言葉売り』にもあるように、彼らが音楽ではなく言葉にフォーカスを置いた結果、アルバムもある程度纏まり、ライブも盛り上がるようになったのは興味深いなと感じた。

 

 また、今回は背景で流れる映像がとても印象的だった。楽曲の内容はもちろんだが、それが私たちの住む場所と深く関わっていることなどが明瞭に感じられて印象的だった。妙に華やかなところや、様々な文化をミクスチャーするところは最近見たカミーユ・アンロの『偉大なる疲労』を何故か思い起こさせた。

 

*1:現代風に言うと上級国民ではない

*2:https://theatertainment.jp/japanese-play/42005/